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小さくてもひらかれた場、と変わっていくこと

″学びの場″や″市民参加のまちづくり″と言われる場に関わることが多いけれど、なぜやっているかと聞かれたら、恩返しみたいなものだなと(おこがましいけど)心のどこかで思っている。

今わたしが出会えてよかったと思える人たちは、何かしら”きっかけ”があったから出会えている人たちだ。そのきっかけは偶然でなく、誰かがつくったから生まれたものだったりする。例えば、飲み屋で偶然出会ったという話も、飲み屋がなかったら出会わなかったわけで、そこには必ず飲み屋をつくったオーナーがいる。ありふれたように見えるそういうきっかけってすごいなと思う。

自分には恩を返せるような経験もスキルもないのはわかっているけれど、過去に誰かがつくった場によって素敵な出会いを受け取れているので、わたしがやっていることが他の誰かにとって何かきっかけになったらいいなと思う。(恩返しより、Pay it Forwardと言われる恩送りの考え方に近いかもしれない。)

人は多面的な存在だから、良い面が自然と引き出されるような場づくりをできるだけしたいし、個人や個性の問題でカバーする前に、その場の設えや環境を整えたいなと思う。つまりは、「あの人は性格が悪いからね」と個人的な問題で終わらせる前に、そもそもその人の良い面が引き出されるような環境が整っているのかな、と考えることを忘れずにいたい。

そういう風に考えるようになったのは、10年ほど前の経験が大きい。

2012年のある日、授業に波谷さん(なみやさん・仮名)という人がやってきた。オープンな授業で他大の人や社会人もよくもぐりに来ていたから、知らない人が入ってくることには慣れていたけれど、波谷さんは少し違った。

穴の空いたボロボロのTシャツ、ほとんど歯がない口元、ボサボサの髪、そしてなにより、人を威嚇するような鋭い目。年齢はおそらく50歳を越えている。

「講堂近くの路上でふと目が合って、どちらともなく挨拶しちゃってさ、面白そうだったから連れてきたわ〜」と大学5年生のキャンさんは言って(そういうキャンさんもミッキーマウスのハンチングに伊達メガネにどてら、ビーサンという格好だった)、波谷さんは私のグループに入ることになった。

その時19歳だった私は、予想外のメンバー加入にめちゃくちゃびっくりしたけれど、あからさまに嫌がるのも悪いしなあと思ってグループワークを進めたのだった。

波谷さんは、日々図書館に通っては難しい哲学書を読み込んでいるようだった。博識であると同時に、社会に対しての怒りや憤りで溢れていた。生活保護を受けて暮らしているようで、ホームレスになった経験もあったとか、ないとか。詳しくは聞けなかったが、見るからに社会と断絶した暮らしぶりだった。私たちのように都内の私大に通う学生に対しても当然、お前らどうせ甘えて生きているんだろ、と敵視していた。人の話を聞かずに持論を展開し、自らの主張を闘わせて勝つことで居場所をつくってきたようだった。

とはいえ授業が気に入ったのか、波谷さんはたびたび授業に顔を出すようになる。先生に「現代のソクラテス」と呼ばれながら、徐々に教室のみんなと馴染んでいった(と言ってもかなり浮いていた)。私のことはいつからか「F澤」と呼び、歯がない口でニカっと笑った。

ある日、普段は見ない小綺麗なチェックシャツを着て、波谷さんは教室に座っていた。特に気も留めずにいたが、授業が終わって荷物をまとめているときにふと、「F澤ァ、ちょっと相談が」と声をかけられた。

教室を出て講堂前の階段に場所を移すと、唐突に

「いやぁ、、、俺さ、あの子のこと好きになっちゃったんだよね」

と言った。あの子とは、同じグループにいた大学3年生の控えめな美女のことである。いやいやまじか、相談って恋愛相談か。予想外の話に戸惑った。客観的に見てさすがに無理だろう、と思いつつ、波谷さんの目は純粋そのもの、恋する少年だった。あぁだから今日はいつもと服が違ったんだな、と腑に落ちた。

話を聞かずに否定するのも悪いなあ、どうしたらいいだろうかと悩んだ。アタックすればいいじゃないですか!と応援して突っ走られても、彼女も困るだろう。

「確かに素敵な方ですよね。でもたぶん、いきなり距離を詰めたら彼女もびっくりしちゃうんじゃないですか。波谷さんは本当は思慮深くて優しいけど、外見だけではわからなかったりするので。まずはそれとなく授業後に話しかけてみるとか……うん…」と当時の私なりに波谷さんを傷つけないような精一杯のアドバイスをした。19歳の小娘の言葉を、うんうんと素直に聞く顔をいまだに覚えている。


そんな恋愛相談もありながら(後日特に話も聞かなかったのでおそらくアタックせずに身を引いたのだと思う)、授業で毎年恒例のキャンプに波谷さんも参加した。切れ味の良い小さなナイフを持参していた彼は、昔シェフをやっていたと話し、夕食のカレーづくりで大活躍だった。後半には「ついついやりすぎてしまった。みんながつくる機会を奪ってしまったかもしれない」と社会性のある一面も見せた。

しばらくした頃、銀座のフランス料理店でシェフとして働き始めた(!)と噂を聞き、同じ授業を受けていた女子4人でコース料理を食べに行った。キッチンから顔を見せた後、メニューにはないけど特別に、と言ってパンナコッタを出してくれた。忙しそうにしながらも、すごく嬉しそうに笑った。

出会ってから1年半、波谷さんは最初の頃とはまるで違っていた。かといって、まるっきり別の人間に変わったわけではない。授業を通じて彼の存在が周囲に受け入れられていくことで、本来の良い性質が自然と引き出されていったのだと思う。

ひとたび受け入れられるとわかれば、1対1の関係上、自然と相手のことを思いやるようになる。きっとそれまでは、社会への怒りや周りからの冷たい目線を浴び、人の話を聞かずに威嚇した目で主張をせざるを得なかったのではないか。

すっかり威嚇しなくなった波谷さんは、もはや特異な存在ではなかった。博識でユーモアがあって、時々熱くなりすぎてしまう、お茶目で照れ屋なクラスに必ずいる個性的な人間の1人になっていた。


きっといくつになっても、人は扱われ方によって色を変えるところがあるように思える。 白河夜船/吉本ばなな

よしもとばななさんの小説に出てくるこの言葉を読んで、一番に思い浮かんだのは波谷さんの存在だ。社会の断絶、寛容さ、多様性、貧困問題、異文化理解、コミュニティ、受容、、、いろんなキーワードが思い浮かぶけれど、ただとなりにいる人のことを、どれだけ理解しようとし、受け入れられるか。受け入れることはできなくても、拒絶せず同じ場にいられるか。同じ社会の中に生きていても、分断されている事実。そのつなぎ目をどうやってつくるか。

少なくともあの教室の中では、波谷さんと学生が自然と仲良くなることは、本来交わることのない人と人がつながった、少し特別なものだったように思う。


誰でも参加できる場があること。そして場に参加することで、人は変わっていくこと。気づかなかった新たな自分を発見すること。

波谷さんとの出会いから心底感じるものがあったからこそ、小さくてもひらかれている場をつくり続けていきたいし、自分自身もそういう存在でありたいなと思っている。

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