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夏の夕方ライドとショートトリップ
いつものように緑が多い郊外に向けて走る。
ひさしぶりに楮川ダムのある丘を目指して走ると、傾きかけた夏の太陽が、田んぼの緑をまるでビロードように輝かせていた。
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山から流れる水をせき止めて作るいわゆる一般的なダムとは違って、このダムは5キロも離れた那珂川から山の上にわざわざ水を汲みあげている。
そして併設する浄水場から市内に水道水を供給しているらしい。
だから周囲のなかでダム湖が一番高い場所にあって、そこまではちょっとしたヒルクライムになる。 ダムへとつづく山裏の坂道は風通しが悪く、まだ熱気を帯びた夏の昼の空気が居座っていた。
汗だくになって坂道をこぎ上がり、木陰が落ちた緩やかなカーブを抜けると、ダム堤防の上につづく道から眼下に青々と茂った緑が視界いっぱいに広がっていた。
期待していた山上の涼やかな風は吹いておらず、暑さで少しのぼせたような感じになりながら、夏真っ盛りの森の緑を眺めた。
周囲からは季節を象徴するかのようなひぐらしの鳴き声が幾重にも重なり、まるでさざ波のように押し寄せていた。
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ダム湖からの帰り道、まばらな集落を走っていると、目の前に現れた風景にハッとして停車。思わず写真を撮った。
郊外のいささかさびれてしまった集落。
傷んだアスファルトの路面にひかれた白線が擦れて、ほとんど消えかかっている。
傾いた夏の太陽が電柱の長い影を路上に落とし、道路わきの夏草や木々の緑に深い陰影をつくっていた。あいかわらず風は無くて、ひっそりと静まり返った民家が微かに人の生活の気配を漂わせていた。
ほんとうに何気ない路上の風景。
一体何に惹かれたのか、ハッキリとは分からない。
でも、心に残る微かな余韻をそっと手繰り寄せてみると、それはどうやら子供のころの夏の記憶に繋がっているように思えた。
夏の夕暮れどき、遊び疲れて座り込んだアスファルトの熱気を帯びた感触を今でも覚えている。そして近所の家々から漂ってくる夕食の準備の音や匂い。
遅い時間まで友達と遊びほうけては、自転車を飛ばして帰るときの言いようのない焦りと不思議な高揚感。
どうもそんなかつての夏の日の記憶がこんな路上の風景とオーバーラップしたようなのだ。
子どもの頃は陽が暮れるまで一日中外でほんとうによく遊んでいたものだ。
でも、今では一日のほとんどをエアコンのきいた室内で過ごしている。
だから冷房で冷え切った身体で、夏の熱気をおびた風を感じて走ることが何よりも心地よいのだ。
そして淡く美しい色彩に染まった夕暮れ空の風景に心底癒されたりもする。
日課のように続けている夏の夕方ライドは、単に一日のリフレッシュのための手段と思っていたけれど、実はそんな子供時代の夏の日を追体験するためだったのかもしれない。
つまりはそれは僕にとって、懐かしい子ども時代の記憶を巡るささやかなショートトリップだったのだ。
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