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6月19日(水):地域の風物に含まれた意味を汲む

このところはラーケーションに端を発して、そこから子どもの一人旅に触れ、派生して中学一年の息子が行きたがっていた野沢温泉村のこと、さらには共同体の自治と紐づいてNHKの「100分de名著」で今月の一冊になっている宮本常一の「忘れられた日本人」のことなど、雑多なことを書き綴っています。

昨日は寄合いによる合意形成のことなどに触れましたが、伝統社会には積み上げられてきた知恵が詰まっていたりします。

今と比較をすると非効率に映るようなことでも、長く大事にされてきた形には、その社会にとっての意味や意義が内包されているものです。

昨日に触れた民俗学者の宮本常一の著書「あるいて来た道」には、彼が日本各地を巡ったフィールドワークから見えてきたこと、考えてきたことが綴られています。

そこでは次のような記載がありました。

「~村の風物の中にはそこにいろいろの差が見られるが、それらはみな、それぞれの歴史と理由を持っており、われわれの生活意識の表現でないものはない。そしてこのような村里の風物に接することによって、われわれはその中に含まれた意味を汲みとらなければならない。(中略)自分の知っているのみの世界が世界のすべてではなく、知られざる世界が、われわれの考えのおよばない世界が、そのかなたに無限にかくれている。そうしてわれわれの求める真理や世界には、ついに結論はないのである」

宮本常一は日本各地をめぐり、日本が一様なものではなく地域ごとに特色ある生活をしていたことにも触れていますが、その違いの背景にあるものを見聞きして、それぞれの意味を汲みとっていたのだと思います。

宮本の民族研究に比べれば、子どもの一人旅で2~3日滞在しただけで見えてくるものには限りがあるでしょうが、それでも自分の知っている世界の外側に出てみることには意味があるはずです。

もし夏休みでの一人旅が実現すれば、どんなものを見聞きしてくるのか、それを経て本人が何を感じて、どんなことを考えるのか、それが楽しみですね。

私も共同体運営の観点で興味があるので、子どもの土産話と対話から何かを学びたいと思います。

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