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3月25日(土):居場所の定義

先週からは政府が進めようとしている学校や家庭以外の子どもにとっての「第三の居場所」づくりに向けたモデル事業に端を発して、コモンのことやコミュニティに触れてきました。

昨日は書籍「孤独と居場所の社会学(阿比留久美著)」を引き合いに「居場所」という言葉が現在のように「ありのままの自分でいられる場所」や「ほっとする場所」の意味合いをもって捉えらえるようになった背景などを記したと思います。

これは個々人が自分のアイディンティティをどう保つのか、どこでアイディンティティの承認を得るのか、といったアイディンティティを巡る問題を包含している面も理解できました。

それを受けて改めてですが、本日は居場所についての定義を見ていきます。

同書では居場所は心理学・教育学・社会学・精神分析学など様々な学問領域で論じられるなか、居場所の定義としてもっともおく使われる居場所の定義をもとにして整理された枠組みが提示されています。

そこでは①「主観/客観的承認」②「他者との関係性の有無」③「空間性の有無」の3つの観点が示されており、それぞれの意味合いは以下の通りです。

①「主観/客観的承認」

こちらは、ある場所を本人が主観的に居場所として承認するか、第三者が客観的にその人がいるべき場所だと承認するか、との軸です。具体例として自宅の自分の部屋が一番落ち着く人にとっては、そこがその人にとっての主観的居場所となります。また行きつけのカフェや飲み屋などが落ち着く場になっているケースでは、それもまた主観的居場所の位置付けです。それに対して客観的居場所は第三者が客観的にそこにいることを承認する居場所を指し、学生にとっての学校や部活、会社員にとっての会社など、その人がその場にいるためのメンバーシップが客観的に保障されている意味合いです。

②「他者との関係性の有無」

他者との関係性の有無は他者との関係があることによって居場所となる場合と、他者との関係がないからこそ居場所となる場合の両極による軸です。部活やサークル、クラスなど他者との関係性があるからこそ居場所になるケースは典型例です。一方で学校や仕事から帰ってきて誰もいない自分の部屋に戻ってきたことでほっと一息つくような瞬間もあり、他者との関係性がない、あるいは希薄だからこそ居場所になりえる例もあります。

③「空間性の有無」

空間性の有無とは、ある人にとっての居場所が物理的空間をもつかどうかとの軸です。学校や職場、自宅のような物理的空間をもつものもあれば、SNSなどのオンライン空間でのつながり、電話やメールを通じた相手とのやり取りのなかに居場所を感じることもあります。また、こちらは同一の相手と物理的空間をともにし、さらにオンラインでもつながることもあり、単純な空間の有無だけでの線引きではなく、それが入り混じるものと捉えることができます。

このようにして居場所について捉えるべき観点が整理されると、そこからまた見えてくること、考えるべき点が出てきますね。

そのあたりは、また明日に続けようと思います。

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