3月27日(月):居場所は「他者との関係性の有無」の両極にある
本日は昨日の続きをもう少しばかり。
この1週間ほどは政府が進めようとしている学校や家庭以外の子どもにとっての「第三の居場所」づくりに向けたモデル事業に端を発して、コモンのことやコミュニティに触れてきました。
それに付随して先般からは書籍「孤独と居場所の社会学(阿比留久美著)」を引き合いに「居場所」について掘り下げ、①「主観/客観的承認」②「他者との関係性の有無」③「空間性の有無」という3つの観点から考えを広げています。
昨日は①「主観/客観的承認」に言及したので、今回は②「他者との関係性の有無」の話です。
②「他者との関係性の有無」
他者との関係性の有無は同書だと他者との関係があることによって居場所となる場合と、他者との関係がないからこそ居場所となる場合の両極による軸だと説明されています。
例えば部活やサークル、クラスなど他者との関係性があるからこそ居場所になるケースは前者の典型例です。
一方で学校や仕事から帰ってきて誰もいない自分の部屋に戻ってきたことでほっと一息つくような瞬間もあり、他者との関係性がない、あるいは希薄だからこそ居場所になりえる例が後者になります。
後者に関しては他者から離れたり、自宅に帰ってくるなど、ある程度は自分でそうした場を作り出すことができるし、1人で自然と落ち着く場がそのようになっていくものでもあります。
だから政策課題や意図して取り組むのだとすれば、前者の他者との関係性のなかで生じる場を増やす必要があると言えそうです。
また前者と後者の関係は完全に独立した別の要素ではなく、互いに影響しあう性質でもあるように思えます。
具体例として仮に外部で他者との関係がない状態で孤独状態になっていると、自宅の一室で他者の干渉がない後者の場があっても、そこにこもっていっそうの孤独感が強まってしまう懸念もあるからです。
そうした観点も踏まえると適度に前者である他者との関係性の場をもつことで、後者の場に対する認識が補完的されて居場所への安心感も帯びてくるんじゃないかと考えています。
ただ、これは家庭に帰ってくるべき場が担保されている前提の話でもあります。
子どもご家庭でほっと安らげる場がなく、無条件に自分の存在を承認してもらえるようになっていないケースだと、もう行き場も逃げ場もなくなってしまいます。
だからまずは家庭が子どもにとってのセーフティな場を果たしつつ、昨今で薄れている他者との関係による前者の場を構築していくことだと思っています。
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