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12月7日(木):「孤独」や「居場所」について、ローカルなフィットネスクラブからの模索④

最近は「『孤独』や『居場所』について、ローカルなフィットネスクラブからの模索」と題したことを記しています。

こちらはWHOが「孤独を差し迫った健康上の脅威」と位置づけたことに端を発したものですが、孤独のケアには物理的距離や心理的距離といった「一定の近さ」が必要になるから、ローカルでの取り組みが不可欠です。

そしてローカルな問題、ローカルな取り組みとして自分たちに引き寄せて考えていくことで、地域や自分の居場所からできそうなことが見えてくる面もあって、私たちはスクール制の小型フィットネスクラブを運営する民間企業としての模索になります。

昨日は居場所の定義でもある「他者との関係性の有無」の観点から、「お客様とトレーナーとの関係性」に触れました。

本日はフィットネスクラブ内におけるもうひとつの他者との関係性、「お客様同士の関係性」です。

フィットネスクラブに入会されるお客様は身体や健康について、何らかのニーズがあるから入会されるので、その延長線上にあるトレーナーとお客様の関係性は自然な流れですが、最初から他のお客様同士の関係づくりを意図している方は稀です。

またお客様同士の関係性は、そこにトレーナーやクラブが直接的に関与するわけではないので自然発生的に生じるもの、偶発的な要素、そしてお客様個々の特性等に左右される面が多分にあります。

コミュニティは複数のお客様が介在する複雑系のなかでの創発現象なので、それ自体をデザインしたり、クラブ側がコントロールすることはできませんが、関係性の土台になるコミュニケーションが生じやすいように環境設定をすることは可能です。

とりわけ最初の入口になるのはクラブの規模感です。

なぜならクラブの規模、そこに介在する人数がその場のコミュニケーションのあり方や個人の振る舞いに一定の影響を及ぼすからです。

少しフィットネスから離れた事柄で説明をしますが、複数人が1つの場に集まる例に学校があげられます。

我が家の子ども達が通う小学校は1クラス35人程度で1学年が5クラスあり、6学年での全校生徒は1,000人規模となります。

これだけの規模になると同じ学校に通っている生徒でも話をしたことがない人もいるし、名前すら知らない人もたくさん含まれてきます。

つまり同じ場に通うという共通項はあるけれども「見ず知らずの他人」の域を出ない人が山ほどいる状況です。

これに対してテレビ番組に出てくるような田舎町の小学校だと1学年が数人程度で、全学年を合わせても40人以下に収まってしまう小学校もあります。

こうした学校では複数の学年が一緒の教室で授業をするケースなどもらあり、学年が違えども誰もが互いの顔と名前が一致する状態になっています。

それぞれが友達であるかは別にして、少なくとも「知らない人」はいない状態です。

これらは少し極端な例かもしれませんが、良い悪いの問題ではなく、規模によって周囲の他者との関係性がある程度規定される面があります。

また別な傾向ケースでは、同じ電車の同じ車両に乗り合わせた人は同じ方向に向かう目的の類似性はあっても、それ以外に何の共通項も持たない見ず知らずの他人ばかりだから、気安く周囲の人に挨拶をしたり、話しかけたりすることもありません。

その一方で自分にとっては顔見知りばかりで「他人はいない」状況であれば、挨拶や雑談から相談まで全く違う形で様々なコミュニケーションができます。

ここから言えることはお客様同士の関係性、コミュニケーションが生じやすいような環境設定はクラブの規模やそこに集う人、介在する人数を含めたサービスデザインの設計がポイントです。

自社のスクール制小型クラブのケースであれば、コミュニティ形成のための規模感として1レッスンあたり最大10名、クラブ全体での会員数は250名を上限にしています。

規模感について前者の10名は社会学の表現でいえば「バンド(小規模血縁集団)」で血のつながりのある親族のように「誰もが互いを良く知る状態」を指し、レッスン毎に顔を合わせる知り合いばかりの関係性です。

後者の250名は「トライブ(部族社会)」で「見知らぬ他人はいない程度の集団」にあたり、同じクラブに属すメンバーシップが感じられる範囲の人数として制度設計となっています。

こうした「互いの顔が見える状態」にしていくことは、お客様同士の関係性が生じやすい環境づくりの一例です。

明日もこの話を続けます。

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