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5月26日(日):効率の枠外にある「ライパ」

先般に厚生労働省研究班が発表した2030年の認知症患者数が推定で523万人にのぼる旨を受け、この一週間ほどは関連のことを記しています。

先日には認知症への理解を深める意味で関連の書籍を幾つかピックアップしてご案内し、一昨日からは書籍「認知症の名医9人」のことを取り上げていました。

昨日は同書で触れていたケアにおける「効率」について言及しましたが、本日はそこから派生した話をもう少しばかり。

一般論でいえば効率としての合理性、生産性自体は仕事をするうえで大事な観点だし、それは有用です。

しかしながら効率と馴染まない領域があるのもまた事実だと思います。

昨日に取り上げたような介護の現場で問題提起されていたようなセンシティブな部分、尊厳みたいなところはその典型でしょう。

私たちはスクール制の小型フィットネスクラブを運営する民間企業ですが、健康の先にある「生きがい」みたない領域も同様です。

費用対効果としてのコスパ、時間効率としてのタイパとあわせ、最近は人生の価値としてのライパが意識されるようになりつつあります。

いずれも「●●パ」と類似した響きなので同じように一括りにして捉えがちですが、そこには大きな違いがあると思っています。

コスパやタイパは効率を引き上げることから生まれる価値ですが、ライパは効率だけを重視してそれが充足していくものではないですね。

ここはコスパやタイパの延長線上で捉えてしまうと見誤ってしまう点です。

むしろ合理性に縛られていると、ライパから遠ざかってしまう面すらあるでしょう。

昨日にも記した通りですが、ひとつ言えるのは効率のような合理性を追い求めると、絶対にこぼれ落ちるものがある、ということです。

手間や時間、余白があることで、はじめてできることや生まれる価値があります。

人生の価値、豊かさを高める点でいえば、そこから得られることのほうが多いはずです。

それをどれぐらい大事に考えて、意味あるムダ(余白)を盛り込んでいけるかが重要になってきます。

私たちは介護とは異なる領域で事業をしていますが、認知症を遠ざけることには寄与できるプレイヤーなので、先に触れたような余白も大事にしながら運営をしていければと考えています。

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