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11月12日(日):書籍「ことば、身体、学び」から、「『わかった』問題」

この数日は書籍「ことば、身体、学び」に関することを綴っています。

本書は五輪メダリストの為末大さんと認知・言語発達心理学を専門とする今井むつみさんとの共著で、副題の「『できるようになる』とはどういうことか」を中心に据えた対話形式です。

一昨日は「できるようになるとはどういうことか」について、また昨日は「ことばと身体」について触れてきましたが、これらの続きをもう少しばかり。

本書のなかでは「『わかった』問題」とした一節があります。

そのなかで為末さんは「本を読んで『わかる』ということの中に、実はけっこうな理解の差があるのではないかということを、僕自身も感じています。ですから、『わかる』と思っている自分は、本当にそれをわかっているのか、この『わかっている』という感覚は合っているのか。容易にわかったと思ってしまっているけれど、わかっていなかったということがたくさんあるし、何をもって、知識を得たと言えるのか。」との投げかけをされています。

これに対して今井さんが「達人になれる人とというのは、自分が、何をわかっていて、何を分かっていないのかを明確に判断できるというところが非常に大きいと、私は思っています。そこがまた、いちばん、個人差があるところです。」と応じています。

この点は自身の仕事のシチュエーションなどに置き換えても、非常に合点がいくところです。

例えば何らかの説明、話をしたときにそれについての疑問、質問を問いかけても何も出てこないケースがあります。

もちろん話を咀嚼して理解し、実行を経て結果につなげてくれれば質問がなくてもなんら構いません。

でも、理解が不十分で実行もままならない場合は「自分が何がわかっていないのかも『わからない』状態」にあるから、質問すらできないというケースです。

当然ながら「わかること」と「わからないこと」の整理、線引きもできていない状態では、その次に進めないので、そこが成長を左右するのも理解ができます。

また「わかる」を「できる」に置き換えても同様なことがいえます。

自分に「できること」と「できないこと」の線引きがきちんとできているかどうかで、「報連相」の有無も違ってきます。

自分では「できないこと」を「できる」と誤認して、適切な報連相のステップをすっ飛ばしてしまうと、結果的に周囲を巻き込んだ失敗を生む独善的な行為につながります。

「わかる」と「わからない」、「できる」と「できない」の整理や線引きをしっかりできるようになることは、自分が次の一歩へ進むためのスタートラインだと思います。

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