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42 わたしの文章には”魂”がないのだ
最近投稿を書いていたり、自分の投稿を読んでいて思うことがある。
文章に何かがたりないんだよなあ。って。
この何か足りない部分をうまく言語化することができない。なんなら、具体的な言葉で表すこともできない。
なので、わたしの文章には魂が入っていない気がする。
形容する言葉もこんな調子になってしまう。
もちろん全ての文章に魂のなさを感じるわけではない。たまには、お、これは自分の魂がこもってんじゃないの、と感じる文章もある。
そういった文章を書いたことを思い返すと、決まって気分が乗っている状態で、心地よく記事をまとめることができたことが多い気がする。
でも、全体を見返してみると、魂が入っていない文章がなんだか多い気がする。
わたしには何が足りないんだろうか。文章の具体性だろうか。それとも、これがわたしの文章なのだろうか。
ひとつ、思うことがあるのであれば、考えの深さが足りない気がする。
どんな文章を書くにしても、なにか表面上のことだけをうまく言葉にしている。いや、どこかで聞いたような言葉を繋ぎ合わて、ハリボテのような文章を組み立てているような気がする。
いわば、わたしが考えて生み出してないということだ。
自分が考えているようで実は考えていない。文章にしてみるとミステリーを感じてしまう節があるが、今回ばかりはふざけている場合ではない。
自分がこれまで生きてきて、他人が使っている言葉や、本に書いてあった表現をそのまま使っている感じ。なので、わたしのこだわりのようなものは何もないし。わたしの文章からは個性というものをあまり感じない。
わたしが生み出していないから、魂が入っていないと感じる。そういうことなのかもしれない。
仮にそうだったとする。そうしたら少し困ったことが起こる。
どうやって魂を入れたら良いのだろうか。自分で考えて、自分の言葉で書き連ねるとは何を示しているのだろうか。
こんなことを書いていてもこれまで本で学んだ表現に近いものや、どこかで聞いたような言い回しを使うことで、少し格好つけてみたり、ところどころ語尾を変えてみたり。
書いてきて少し恥ずかしくなってきた。
どうやったら自分の魂なんて入れられるのだろうか。ライターについて色々と調べて、良い文章とは、という部分から学んでいくべきなのだろうか。
仮にそうしたとしても、わたしは魂を入れた文章を書けないような気がする。どうしてそうなるかはわからないのだけど、なんだかそんな確証がある。
話がまとまらない。ここまでの内容はわたしの脳内をそのままぶちまけたそのままだ。そもそも文章ともなっていない気がする。
自分で勝手に定義しておいて、そもそも魂の入ってる文章すら説明できない。
それは感情の入っている文章を指しているのだろうか。何かが足りない、の”何か”とは読んだ人の感情を昂らせる”何か”が足りないと言いたいのだろうか。
なんとなく、その認識は「間違っていない気はする」
わたしが自然に文章を書くと、評論のようで、そうではない。エッセイなんだけど、少し評論に近いような。そんなイメージの文章が書き上がってくる。
悪くいうと中途半端。
でもわたしがすらすらと書き進めていけるのはそんな文章なのだ。
これがわたしの個性だとするならば、この作風で魂の入った文章を目指すべきなのだろうか。
何か少しでも、わたしの感情に共感してくれる人はいるのだろうか。
そうであればその人なりの考えを聞きたいところである。
雪白真冬
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