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周りはDNAだらけ?

私が所属している日本動物分類学会の日本語雑誌に「身近な巻貝類も病原性吸虫類の中間宿主」と言う総説があるのを見つけたので、この総説をもとに、以前私が巻貝の寄生虫を調べていたことを思い出したので少しお話しをしようと思います。

なぜ巻貝

タイトルに出ている“巻貝”と“中間宿主”について説明します。扁形動物門に属する吸虫類は、成長に応じて宿主を変えるという、とても複雑な一生を送っています。宿主とは、ウイルスや寄生虫が感染し、その体内の一部を利用して子孫を増やすために利用する生物のことです。私が専門にしている単生類(扁形動物門単生綱)は、一生の間に1種の動物にしか寄生しません。一方、吸虫類は魚類、鳥類や哺乳類などの脊椎動物の内臓に寄生して成熟し、産卵します。この吸虫が性成熟を迎え、産卵できるようになった時に寄生する宿主のことを“終宿主”と呼びます。終宿主の体内で産卵した卵は、水中に放出されて、孵化し、海や川に生息している貝類の体内に潜りこみます。この貝類の体内で吸虫の幼虫は無性生殖(簡単にいうと分裂)を行います。このように吸虫が無性生殖で個体数を増やす時に寄生する宿主のことを“中間宿主”といいます。
この中間宿主の体内で増殖して成長した吸虫の幼虫は、セルカリアというオタマジャクシのような形になり、泳いで次の宿主に移動します。吸虫の中には近くを泳いでいるエビやカニ類に潜り込むのですが、直接終宿主に寄生する吸虫もいます。後述する吸虫は、ヒトや家畜などに疾病を引き起こす原因になっています。貝類に寄生している吸虫の幼虫をすることは、これらの吸虫が原因の疾病の予防につながるということです。

ざっくりとした吸虫類の一生です。

危険な吸虫

この総説で取り上げられていた病原性吸虫類は以下のようなものです。
肝蛭類(Fasciola spp.)
ウシやヒツジなどの反芻動物を終宿主とし、その胆管や胆嚢に寄生することで肝蛭症と呼ばれる疾患を引き起こします。肝蛭はウシやヒツジに寄生しても顕著な症状が現れることはありませんが、ヒトに感染した場合は、胆管炎を起こし、発熱、吐き気、右腹の激痛、下痢などの症状が見られます。肝蛭は、ヒメモノアラガイという巻貝を中間宿主にしています。この貝は、水田やその周辺の水路に生息しています。

肺吸虫類 (Paragonimus spp.)
肺吸虫は、主にイヌやネコなどの食肉目を終宿主としています。ヒトにも寄生することがあり、喘息様発咳,吸気性喘息や血痰などの症状を引き起こすことがあります。日本に生息する肺吸虫は宮崎肺吸虫ウエステルマン肺吸虫の2種があり、それぞれヌマツボ科とカワニナ類を中間宿主としています。その後、サワガニを第二中間宿主にします。

槍形吸虫類 (Dicrocoelium spp.)
槍形吸虫は、主に反芻動物を終宿主とし、胆管や胆嚢に寄生して胆管炎や肝炎を引き起こします。日本ではシカやニホンカモシカを終宿主にしていることが報告されています。第一中間宿主は、マイマイ類など陸生の貝類であることがわかっていますが、具体的な種類はわかっていないようです。マイマイから排出される粘球とともに体外に脱出し、これが第二中間宿主となるアリ類に摂食されるという流れになっています。

無性生殖中の吸虫の幼虫(スポロシストといいます)

中間宿主の探し方

中間宿主を探すのはとても大変です。私は魚類についている寄生虫(単生類)の種類を調べることができますが、その方法は単生類の体の構造を過去の文献の記述と比較して行います。しかし、貝類に寄生している吸虫の幼虫の体の特徴は未熟すぎてわかりません。かつては、貝類を集めてきて、魚や実験動物にわざと寄生させる感染実験を行っていました。現在は、貝類を集めてきて、寄生虫を取り出し、DNAの塩基配列を調べます。そのDNAの塩基配列をすでに判明している病原性吸虫のDNAの塩基配列と比較する分子生物学的な手法を用います。
手順は簡潔なのですが、これがとても難しいです。私も以前、姫路の山奥の小川に生息する魚類の吸虫の塩基配列を調べたのち、同じ小川に生息するカワニナに寄生している吸虫の幼虫の塩基配列と比較するという調査を行ったことがあります。水路を少し大きくしたくらいの川だったので、すぐに見つかると思ったのですが、カワニナから検出された寄生虫の塩基配列は多様すぎました。検出された塩基配列で、すでに判明している寄生虫の塩基配列と一致するものはほとんどありませんでした。海外の論文をもとに推測すると、調査していた小川のカワニナは、ネズミ, コウモリ, 猛禽類, 反芻動物の吸虫の中間宿主となっていたようです。2年ほど調査を行い、何とかヨシノボリに寄生している吸虫と同じ塩基配列をもつカワニナの寄生虫を見つけることができました。

調査河川にはサギや鹿の足跡などをよく見ることができました。

現在進行形

現在の日本で生活をしていて寄生虫病にかかったという人は少ないと思いますが、総説にあるように、現在もヒトに感染する可能性のある吸虫が生息しています。しかし、それらの吸虫がまだどのような一生を送っているのかが完全にわかっていません
かつて、日本には日本住血吸虫という、感染すると命に関わる症状を引き起こす寄生虫病がありました。この日本住血吸虫は、ミヤイリガイという小さな巻貝を中間宿主としており、ミヤイリガイの生息する川や水路に手や足をつけると、日本住血吸虫の幼虫が皮膚から潜り込んで感染します。明治時代の学者は、総力をあげて日本住血吸虫の一生を解明し、ミヤイリガイが中間宿主であることを発見しました。その後、ミヤイリガイの撲滅運動がさかんに行われ、現在は日本で感染することはありません。
この総説で紹介されている吸虫は、まだわかっていないことが多いですが、怖がらなくても大丈夫です。川や水路の水を直接飲んだり、カタツムリなどの陸貝を食べるようなことをしなければ感染しません。淡水性の貝や陸貝は吸虫の中間宿主になっている可能性があることを知っていれば十分です。しかし、ヒトに害を与えるからといって、それらの生物を撲滅するわけにはいきません。日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイは、現在では静岡県と山梨県のごく一部のみ生息が確認されるだけになってしまい、環境省レッドリストにおいて絶滅危惧種Ⅰ種に指定されています。これは地域の人の安全を考えると必要なことで仕方のないことかも知れませんが、中間宿主になっている軟体動物も生態系の中で役割を持っています。もしも、絶滅してしまえば生物の多様性を損なうことになり、今後大きな被害が出てくる可能性があります。ヒトの健康と環境の維持ということも今後は考えていかなければならないのかも知れません。

参考文献

尾針由真. (2023). 身近な巻貝類も病原性吸虫類の中間宿主. タクサ: 日本動物分類学会誌, 54, 17-22.


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