見出し画像

妻と僕のものがたり、海よりの願い。海ガメの保護活動を支援します。

妻とは年が離れている。ふたつみっつではない。24才も離れている。そうふたまわり。同じ干支。

長い間独身でいて、気が付けば50歳となった時に、縁があって妻と知り合った。ようやく結婚がきまったことを知人たちに話したとき、周囲からは若い奥さんという年齢のことだけを切りとって祝福してくれた。それだけじゃない……、まあいいや。ありがとう!

年の差婚って、お互い話が合わないでしょうと、きっと心配してくれたのだろうお方もいらっしゃったが、余計なお世話になっておりますw。

決してそんなことは無くお互いによく話しよく笑った。あれから10年以上たった今もそう。

付き合い始めたころから、飲んだくれの運動不足の私を連れて、当時住んでいた彼女は大学のそば、府中の東部を授業の無いとき、休日など、よく散歩にでかけた。大学へ行く裏道、農道、線路沿いの小径。春は多摩霊園のあたりの桜をながめ、夏は日暮れ多摩川沿いを散策して大きな橋をわたり川面の風をあたり、秋になると銀杏をひらった。冬は早朝のあさもやのキャンパスを散策。いつかはバスケット籠をもって焼きたてパンを探し開いているパン屋さんをさがし市内をさまよった。いつどこを歩いても二人の未来を良く語った。

結婚前も結婚してからも、旅行によく行った。旅先でも歩いた。僕の育った紀州の黒潮を彼女にみせたく本州最南端の潮岬まで旅をした。どこまでも群青色の海は滔々とながれ、濃い磯の香りと、はるか彼方から吹いてくる潮風。水平線はとても大きくそしてまるい。まぶしいくらいきらめいている海。

近くの串本海中公園は海の中をのぞける水族館。ぼくたちは泳いでいる魚よりもなんとも優雅な姿のウミガメにくぎづけ。何だかいとおしく僕は2枚のウミガメのシールを買った。それは海ガメ保護の募金だった。お揃いの携帯の裏にはって(いつしかカメの姿は摩擦で消えていくのだが)楽しかった旅をシールをみながら思い出していた。

たのしかったねぇ。二人で串本駅のホームで列車を待っている間に、二人の思い出に残る一日を振り返りながら、突然カメのシールを張った携帯を妻がバックから出してきた。

「ねぇ。あたし死ぬときに、カメにのって迎えにきてくれる?」

そりゃそうだ。かなり僕はかなりの年上。そして男性。かなりの確率で先に逝くことは間違いない。

迎えにいかなくちゃね。そしてその後の家族の物語をカメの背中に乗って教えてもらうんだ!

結婚前の妻との約束で、私が先に亡くなったら、妻がいまわのときに、ウミガメに乗って迎えに行くね、と結婚前に約束して以来海ガメのことが気になっていた。

だってちゃんと保護しないと、僕が乗っていく亀が無くなっちまうよ……。


それから少しあと。話は少しだけ続いています。

傍らには、なかなか寝ない女の子と、男の子。僕の大事なたからもの。早く眠ってくださいな。zzz

浦島太郎のものがたり。助けたカメのお話。ふたりは赤や青のサンゴにみとれるカメの背中にのった浦島太郎が乙姫様が迎える竜宮城に着く前に夢の世界。助けられたのは僕だった。カメさんに。

会社を定年にとなり子供が小さく、自営業者となって、まだ働いている僕は、ある日海ガメ協議会のホームページを見つけた。そこには、10年前にみた海ガメのシールがあった。懐かしい日々のプレイバック。そして妻に対しての約束。

海ガメは海からの幸せの使い。そう。

きっと僕の仕事を応援してくれてるのだろうね。

その日僕は、娘と息子に「ウミガメものがたり」の本を買って、読み聞かせた。もうふたりとも、お休みのものがたりは浦島太郎ではなくなっていた。

長い旅をして、生まれた浜に卵を産みに帰ってくるウミガメの壮大なものがたり。

僕たち家族にとって幸せの使いなのです。大事にしたい。棲んでいる海を守っていきたい。僕が今できることはとてもわずか。

かめさん。もう少し待っていてくださいな。


ファーストベース行政書士事務所は

第 31 回日本ウミガメ会議オンライン大会と

日本ウミガメ協議会を応援しています。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?