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【連載】この人生を生きるのに大切なこと 10

「私も連載を持ちたい!」という欲求のまま勝手に始めた月1連載。
HSP気質で、片頭痛、うつ、喘息を持病に持つ私が、生きるのに大切だと思うこと1つをテーマに、経験や考えを書いていきます。
毎月第1水曜日更新予定。


第10回 身体からのメッセージ


冒頭にも書いている通り、私には持病がある。
高校1年生のときから片頭痛とうつ、35歳から喘息と共に生きている。
2021年、今年は特に喘息の調子を崩すことが多く、「息ができる」ことの素晴らしさを痛感しているところである。
当たり前だと思ってきたことはみな当たり前ではなかった。
身体はいつも大切なことを私に教えてくれる。

中学生までの私は病気とはほとんど無縁だった。
同級生に生まれつきアトピーや小児喘息を持っている子はいたが、私にはその当時、持病というものはなく、健康について気を付けていることはなかった。
たまに頭が痛くなったり、お腹が痛くなったり、風邪を引くことはあったが、生理痛もひどくないほうで、特に気にしていなかった。

だが、高校生になって1年生の6月か7月には毎日のように頭痛に悩まされるようになった。
親が心配して脳のCTを撮ってもらったが、原因となるようなものは見つからなかった。対処法は市販の頭痛薬しかなかった。
私が通っていた学校は進学校で、毎日予習が必須だったし、その量がかなり多かった。睡眠時間をかなり削っていた。
頭痛のため寝る時間が増えると、予習が間に合わない。その状態で授業に出れば叱られる。どうしていいのか分からず、私は次第に自信を失っていった。

運悪く、そういうタイミングで部活内の人間関係が悪化していた。
11月に大会があり、それに向けて頑張っていたが、終わったとたん、私の緊張の糸は切れた。学校を遅刻・欠席しがちになった。
毎日が憂鬱でやる気が出ない。
今ならうつ病を疑うのかもしれないが、当時は精神疾患に対する偏見があったのか、親はそういう病院には連れて行かなかった。私はそういう病気があるのを知らなかった。
まだインターネットが普及していない時代。そういうアドバイスをくれる人はいなかった。ただ一人、私を止めてくれた先生がいたが、彼女は自らがそういう病気の経験者だったから気付いてくれたのだと思う。半年後、体調を崩され退職された。

謎の頭痛と憂鬱感に悩まされながらも、私は本番に強かった。中間テスト、期末テスト、各種模試、大学センター試験、二次試験と絶対に出なければならない試験には必ず出た。おかげで大学には現役で合格した。
この学校には部活と大学進学のために来たのだ。部活は難しかったが、大学進学だけは達成したかった。

私は大学で「心と身体の関係」について勉強したかった。自分のこの状態が何なのか知りたかった。
2年生の5月、憂鬱な気分がひどくなりまた学校を休む日が出てきた。その時、受講していた講義に「精神医学」があり、授業の中でうつ病の診断基準が出てきた。今の私と同じだった。うつ病なのかもしれない…そう思い、精神科を受診。初めて診断がついた。うつ病だった。

抗うつ薬を服用して治療を続けた。
2年生は頑張って半分くらいは出席できたが、必要な日数には達しておらずほとんど単位を落とした。どうにか4年間で卒業したくて3年生は頑張ったが、4年生で卒論に着手できる単位に達しておらず留年決定。結局5年で卒業した。就職活動も合わせて行っていたが、どこにも就職できないまま卒業することとなった。
卒業する頃には減薬し、うつ病もだいぶ良くなっていた。
また、母の姉、つまり伯母が片頭痛持ちだと分かり、伯母がかかっている病院に診てもらったら私も片頭痛であると診断された。薬を処方され、正しい服用タイミング、気を付ける食べ物、生活習慣などを指導してもらい、以前よりも付き合い方が分かるようになっていた。
卒業に伴い、地元に戻ることになったが、場所が遠いため、次の病院は紹介してもらえなかった。少し不安はあったが、だいぶ良くなっており、付き合い方も分かってきていたので、「自分で探そう」と前向きであった。

地元に戻り、まず片頭痛の薬は内科のホームドクターで出してもらえることが分かったのですぐ解決した。
精神科は3軒ほど試してみたが、なかなか合うところがなく、結局断念した。インターネットで減薬の仕方を勉強して自己流で服用を止めた。
2年ほど過ぎたころ、正社員で就職できたが、いわゆる普通の8時~5時が勤務時間の会社で、運悪く繁忙期の直前の入社だったため、私には負荷が大きすぎ、うつを再発した。周囲に隠したかったので少し遠めの病院で合うところを見つけることができ、3年ほど通った。その間、私は結婚した。夫と二人で暮らし始めた。4時間ほどのバイトも始めた。良くなってきた頃、先生が変わる可能性が出てきて嫌だったので止めて、また同じ感じで服薬も止めた。

5、6年ほど、通院も服薬もない状態が続いた。片頭痛もたまにあるが、10代、20代の頃と比べれば頻度は下がり、付き合い方も分かっている。憂鬱な気分になる時もたまにあるが、理由の分からない落ち込みはなく、問題を解決したり、気分転換や考え方の転換をすれば、なんとかなった。
私は子供が欲しかった。でもできなかったので悩んでいたし、夫と話し合いもしたし、時にはケンカになった。
一念発起して不妊治療を始めて1年後、他の色々なことも重なり、私は過呼吸で倒れた。

私は頑張り過ぎていた。
中学校までずっと「頑張ればどうにかなるし、してきた」。
そのやり方が染みついている。
デフォルトで「頑張ってしまえる」。

大学生の時にやっと「一番のお荷物のこの私を抱えて生きていく」と決め、できない自分、頑張れない自分の存在を認めた。
だからそれからは「後悔しない。だってその時々のフルパワーでやってこの結果だったんだから」と言うようになった。
こうなれば良かったのにという気持ちはもちろんある。けど、その時のフルパワーでやってこの結果だったなら仕方ない。頑張ってもできないことは世の中にたくさんある。
でもこれは逆をいえば「フルパワーで頑張ってみなければ諦められない」ということでもある。頑張ることが基本にある考え方だ。

過呼吸で倒れた3ヶ月後、風邪を引いた。経過が悪く、喘息になった。
夫が小児喘息が大人になっても治らなかったタイプの喘息で、側で様子を見ていたけど、見た目よりしんどい。
息ができない。咳が止まらない。痰がからんでさらに気道が狭くなる。
今までは頑張ればどうにかなるし、頑張った結果負傷を負っても後でケアに努めればどうにかなってきた。
けど、息ができなければ物理的に頑張れない。
急に水の中に落とされたら溺れて、頑張るとかそういう話じゃなくて、とにかく助けて!!!ってくらい頑張れない。

私はこう思ったんです。
あぁ、身体が「この人、どんだけ止めても頑張ろうとするから、もう酸素止めたろか」って思ったんだろうなって。
多分、片頭痛が起きたのは長期間の睡眠不足が原因だと思う。伯母が片頭痛持ちで、遺伝的にそこに症状が出やすかった。身体はストップをかけたかったんだろう。
でも私は授業についていけないからって頑張って、今度はやる気のなさ、憂鬱な気分、自責の念が出てきた。
それで動けなくなって低空飛行でもここぞという時だけは頑張って大学進学という本当の望みだけは叶えた。
その後も、負荷が増えたり重なったりしたら、片頭痛かうつがストップをかけて強制終了してきた。
私は悔しくて泣いたりしたけど、身体からしたら「本当に壊れる前に止められて良かった」って思っていたかもしれない。
でも5、6年も経つと私も付き合い方に慣れてきて、ストップかけても止まらない時が来た。だから過呼吸にして止めた。
過呼吸は2回経験したけど、呼吸がコントロールできないだけでなく、不安感があって、すごく怖かった。もうなりたくなくて、3回目が来そうになった時は早めに袋を口につけて呼吸と気持ちを整えて回避できた。
だからついでに喘息にして物理的に動きを止めた。

喘息になって、約2年半。
今年は2回喘息が悪化して、会社に行けない時もあり、大変だった。
まだ付き合い方が分かっていないので、つい、いつものように行動してしまうけど、それが意外と喘息には良くないことが多く。
急がない(遅刻癖あるけど)。
焦らない(ビビりだけど)。
言葉は少なく端的に(おしゃべりだし仕事オペレーターだけど)。

これまで自然とやってきた長年の動きを変えるのはなかなか難しい。
「頑張ってだめだったら諦める」ではなく「頑張らない」。
「頑張ればどうにかなる」ではなく「無理しない」。
成果を「頑張り」に頼ってきた者にとって、一つ武器を取り上げられたような気分だけど、さすがに酸素吸えなかったら、人間という肉体を持って生きている以上、白旗を上げるしかないので、身体からの特大のメッセージに向き合っているところだ。

思うに、中学生までの15年間の身体の感覚でやっちゃうんじゃないかと思う。大人なのにまだ子供の頃のことを?と思うかもしれないが、単純に数字で考えると15年間。高校から今までは23年間。やり方を変化させる期間も入れればやっと2つの期間の長さが同じくらいになったとも考えられる。
子供の頃の身体感覚、怪我や疲労からの回復力、記憶力、体力、気力。そういうものが深いところに刻まれていて、ついそれが出てしまう。けど、実際は38歳の身体だから「やりすぎ」になってしまう。
身体としっかり向き合わなければいけないね。

いつも「私の身体は優秀だから必要な時にストップをかけてくるよね~」と思っていたけど、今年11月の喘息発作(今も体調不良継続中)は強制力が強くて、いつも以上に考えさせられた。
今回はそんなnoteでした。

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