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【連載】この人生を生きるのに大切なこと 6

「私も連載を持ちたい!」という欲求のまま勝手に始めた月1連載。
HSP気質で、片頭痛、うつ、喘息を持病に持つ私が、生きるのに大切だと思うこと1つをテーマに、経験や考えを書いていきます。
毎月第1水曜日更新予定。

第6回 とある精神科通院日の話

初めて精神科を受診したのは2003年6月、大学2年生の時だった。
高校1年生の時から部活の人間関係の悩みで頭痛や憂鬱な気分に悩まされることが多くなり、学校も遅刻や欠席が増えていた。当時はまだうつ病の認知度が低く、精神科にいくことはなかったが、大学の授業でうつ病の診断基準を勉強し、自分の症状が合致していたことをきっかけに受診。在学中はずっと抗うつ薬(パキシル)を服薬しながら通院を続けて、卒業を機に地元に戻ってきたが、合う病院を探せず中途半端になってしまった。
2、3年ほど通院せず過ごしていたが、仕事に悩みがあり、うつ病を再発。2009年春、精神科を受診。また抗うつ薬(ジェイゾロフト)と頓服で抗不安薬(コンスタン)を服薬しながら通院することになった。3、4年ほど通院したが、先生が変わってしまう可能性が出たため、またフェードアウトしてしまった。
それから6年くらいは通院なしだったが、2019年1月、今度はうつではなく過呼吸になり再び精神科へ。過呼吸は当時起きた2回のみで、以降は1度も起こっていないが、うつとは違う辛さがある。まず第一に「これはおかしい」と傍から見てすぐ分かる。他人の目を気にする私には「取り繕うことが出来ない」のはかなり辛い。そこまで当時の私が心だけでなく体に出るほど追い詰められていたということかもしれない。

それから2年半、今でも月に1度通院している。薬は抗不安薬のアルプラゾラムを出勤時や眠れない時に頓服。
昔と比べても、今の病院を初めて受診した時と比べても、だいぶ良くなってきていると思う。先生もそう仰っていた。
だけど、どうしてだろう。
なぜか、心の底からは「誰の役に立っていなくても、私は生きていていい」とは思えないのだ。

「役に立たなければ価値がない」

これがいつも私を苛む。
私が自責に陥った時に必ず口にする言葉だ。
「何の役にも立ててない」「生きてる意味ない」「大切にしたい人を喜ばせることもできない」「持病なく産んでもらったのに」「私には価値がない」
そういったことで自分を責めて泣いて叩く。
もちろんそれが毎日というわけではない。
うつ病真っ盛りでほとんど寝てばかり、外に出るのは夜だけという大学2年の頃や再発した時、過呼吸になった時は毎日だったけど、それ以外の時期は調子が悪い時にこういう状態になる。
最近だと1ヶ月ほど前に喘息が悪化して、誕生日や母の日、父の日のお祝いができなかったり、夫の実家の田んぼの手伝いに行けなかったりして、実際に「役に立っていない」状態になり、自責にかられる時期があった。
その前に大きく沈んだのはいつだったか憶えていないが、数ヶ月おきには鬱々しい時があり、その時にうまく対処したりやりすごしたりできれば大きな落ち込みにはならずに済む。

ただ「うまく対処する」とか「うまくやりすごす」というのは毎日の目の前の生活や仕事があるからそうするのであって、もしそういうことがなかったら、とことん心の中に潜り込んでその深淵に触れてみたい気もする。
どうしていつまで経っても「役に立てなくても生きていい」と思えないのか?「役に立つべき」とか「役に立たなくては生きてる意味がない」という観念はいつ、どうやって形成されたのか?
高校1年生で症状が出ていたので、その前の中学生の頃か?祖母が脳梗塞で倒れて右足が不自由になった小学5年生の頃か?
それとも私の親はいわゆる毒親だったのか?
記憶も曖昧だし、その割に嫌な思い出はリアルに思い出せるから、小さい頃のことはあまり思い出したくないというか、抵抗があるというか。
どうしていつまで経っても「役に立たなくても生きていい」と思えないのかを知るのはなかなか難しそうだ。

大きな気付き

…そんな話を先生に話していると、あることに気付いた。
私は先生に「気分が良い時以外は『役に立たなければ生きてる意味はない』って思ってしまうんです」と言おうとしたけど、「気分が普通の時」もそんな風には思っていないことに気付いたのだ。
これは私にとっては大きな発見だった。
私の隣には常に「役に立たなければ価値がない」があった。
気持ちが前向きな時にだけ、それを無視することができた。「役に立てなくてもいいじゃん」と言えた。
だから、それ以外の時には「価値がない」と責められていた。
しかし、今はそうではないと気付いた。
もちろん鬱々とした気分の時には責められるが、ポジティブでもなくネガティブでもないノーマルな気分の時、それはただ横にあるだけで責めてこないし、私も「役に立てなくてもいいじゃん」と打ち消そうとしない。ただ横にいるだけ。
つまり、鬱々とした気分の時に「役に立たなければ生きてる意味がない」と思ってしまうということ。それってある意味当たり前というか…気分が悪いときに悪い考えになってしまうって「それはそうだよね」って感じで。
気分が悪い時も人間だからもちろんある。その時は悪い考えに囚われても仕方ない。
でもそれ以外の、ノーマルな気分の時、気分が良い時には、目に入っていても気にしない。目の前のことに淡々と取り組んでいく。
長い時間をかけて、それができるようになったんだなと思った。
…できれば「役に立たなくても生きていい」と心の底から思えるようになりたいけど、きっとそのうち徐々にそうなっていくと信じている。

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