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【連載】この人生を生きるのに大切なこと 3

「私も連載を持ちたい!」という欲求のまま勝手に始めた月1連載。
HSP気質で、片頭痛、うつ、喘息を持病に持つ私が、生きるのに大切だと思うこと1つをテーマに、経験や考えを書いていきます。
毎月第1水曜日更新予定。

第3回 うつと恋愛・結婚

持病の中でもとりわけ話す相手を選ぶのがうつである。
先日、新年度になったと同時に新チームに配属されて以来初めてチームリーダーと面談があった。この面談で私は話の流れをみて話せる感じだったら持病のことを話そうと思っていた。時短勤務を選択している理由は体調であるという流れから「持病があって、片頭痛とうつと喘息があります」と告白した。するとチームリーダーもサブリーダーも持病があり、付き合いながら働いていると教えてくれ、理解を示してくれた。
コールセンターという人との接触が避けられない仕事だからということもあると思うが、持病を持ちながら働いている人ですらうつという病気は注意が向くのだろう、うつに関してだけ追加の質問とアドバイスがあった。
仕事という限定的な関係であってもこうなのだ。ましてや恋人や家族だったら耐えられないという人もいるのではないか。
実際に、実家の父はだめだったようで、一時期母にうつ症状が出た時は「いつものようにしてくれないと困る」と言っていたし、私が結婚した時には「(結婚できず仕事もなかなかうまくいかないだろうから)一生養わなければいけないかもしれないと思っていた」と言われた。
だが反対に私と結婚した夫のような人もいて、はたして両者は何が違うのか?少し考えてみたいと思う。

「これくらいなら大丈夫だと思いました」

思い出すのは夫が私の実家に結婚の挨拶に来た時だ。
父が「知ってるかもしれないが、娘には持病がある。それでも大丈夫なのか?」と聞くと、夫は「実際にそういう(うつで苦しんでいる)場面にいましたが、これくらいなら大丈夫だと思いました」と答えた。
父はこの他にも夫の仕事の話やお金の話、実家の農業の話などをしたが、最初にした質問はうつのことだった。父にとって娘が結婚できるか最大の問題がこれだったということだと思う。つまり結婚相手がうつを罹患していることは父という人にとって許容できないリスクであるということだ。
一方で夫にとっては実際に体験してみて、うつを患う人の隣にいることは許容できるリスクだった。夫にとって許容できないリスクとは何なのかはよく分からないが、少なくとも私と結婚することでその許容できないリスクは発生しないと想定され、むしろメリットの方が多かった。(当時「結婚しない理由がない」と言っていたのでメリットがあったんだと思います。今は分かりませんが・笑)

許容できるリスクか?

目の前のことが自分にとって許容できるリスクなのか、できないリスクなのか、その判断は大事だ。それができなければ思わぬところで抱えきれないリスクを背負うことになってしまう。
今までうつを患っていることを伝えると様々な反応を経験してきた。
今までと変わらぬ付き合いをする人、距離をとる人、過剰に接近してくる人。中には治そうとしてくる人やうつの酷さでマウントをとる人もいた。
親しかったのに離れていった人に対して嫌な気持ちになった時もあったけど、今は「あぁ、あなたにとって抱えきれないリスクだったのね」と思う。自分が許容できない大きなリスクから離れるのは正しいリスクマネジメントだ。

「うつの私」ではなく「私自身(うつもある)」の理解を

前職の同僚が「〇〇さん(自分)のせいでうつが酷くなったって言われたくないから離れる」と言ったことがあった。
私は「〇〇さんのせいでとは私は多分言わない。私はなんでも自分を責める方向のうつだから…もし発言に傷つくことがあったとしてもそれは今までにもよくあることだし、それで私の症状が悪化することは関係がない。その発言を私がどう受け止めて処理したのかが問題なのであって…私はここに仕事しに来てるから、仕事に必要な話ですらできないのは困る」みたいなことを言った。
すると、昔、不仲になって仕事の話すらできなくなって困ったことがあったらしくて、「確かに前みたいなことになったら嫌だから、なるべくがんばる。最初はよそよそしくなるかもしれないけど」と言ってくれた。
一緒に働いていくうちに「なんでそんな風にしたのか分からないことでも理由を聞けば納得することが多い」と分かり、それを繰り返していくうちに私の思考パターンが分かってきて、「うつ病のアサヒ」ではなく「アサヒ(うつもある)」といったように、私自身を理解するようになった。
それと同時に私も同僚の人となりを理解するようになり、最終的には結構仲良くなった。
…なんてことがあった。懐かしい…
私の症状が良くなっていたこともあって、同僚が精神疾患に対する偏見めいた発言をした時に「私もうつだけどね」と言ったら「アサヒがうつなの忘れてた、すまん」と言われたこともあった。
おそらく人は自分が経験しないと理解できないもので、一緒に働く人を理解することはできても、病気を理解することはできないのだと思う。
でも私はそれでいいと思う。
なぜなら「うつの私」ではなく「私自身(うつもある)」を理解し、好きになってもらいたいからだ。

結局 人間関係

日常生活でも同じことだ。
これまで学校で、職場で、様々な場所で、様々な人と出会ってきた。
その中には持病を知っているか知らないかに関わらず「合う人」「合わない人」がいたはずだ。
合わない人とはなるべく接点がないようにし、どうしても話さないといけない時は話しかけるタイミングや話し方に気を付けて、なるべく自分のダメージが少なくなるように工夫する。
交際する相手や結婚する相手は自分でコントロールできることだ。
もし自分が「うつを持つ人とは付き合えない。許容できないリスクだ」と思うのなら避ければ良い。「合わない人」にするのと同じように。
ただ「合わない人」と同じように、やり方を工夫して付き合っていくうちに、特性を理解したり打ち解けたりもしていくものだと思う。
なにもうつ病を理解する必要はない。目の前の人を理解すればいいのだから。
だからたまに「恋人がうつになったからうつの勉強をしている」という人がいるが、うつの勉強をするくらいなら、恋人が何が嫌いで何が苦手なのか、何が怖くて何が不安なのかを知るために恋人と話をしたり生活を見守ったりした方がよっぽど恋人のためになると私は思う。
現に夫は一切うつの勉強はしていない。ただ良かれと思って色々やってくれたり察してくれたりするわけではないので、必要なことは全部私から言う。言わずに分かれなんて魔法使いじゃないんだから無理な話だ。
言う必要があるから、私も言葉で言えるレベルまで自分を知ろうとする。理由が分からなくても「なんか嫌」しか分からなくてもとりあえず言う。自分のことだからなんでも分かるわけではない。

課題の分離

私がうつを持っていることと、夫の配偶者にうつがあることは別々のことだ。うつと付き合って生きていくことは私の課題だ。夫の課題ではない。
こう書いてしまうとあたかも夫が苦しむ私の隣で平然としてたように感じてしまうが、実際は心配しつつ隣にいるという感じだった。必要になれば何か言ってくるだろうから、それまではただ黙って側にいて放っておく。
心配な気持ちを持ち続けるのに耐えられなくて、どうにか元気になるように妻に介入するなんてことはしない。心配な気持ちをどう処理するのかは夫の課題だ。課題の解決のために妻を変えようとしてはいけない。
なぜか、どうしても恋人関係や夫婦関係、家族関係になると課題の分離ができなくなる。
「うつの人とは付き合えない、結婚できない」という人は課題の分離ができておらず、本来相手の課題であるうつを自分の課題にしてしまっているのではないか。
もしくは、課題の分離はできていて、自分の課題として、心配な気持ちを持つ辛さに耐え続けることにリスクを感じる、うつというよく分からないものに影響を受ける恋人や配偶者と一緒にいることに不確実性やアンコントロール性を感じリスクに感じる、ということかもしれない。
私としては、「私自身(うつもある)」を理解し、課題の分離もした上で、「これは自分には許容できないリスクだ」と感じるなら離れればいいと思う。

ただね、これまでずっと「うつを持つ人と付き合えるか、結婚できるか」という視点で話してきたけど、「合わない人」と同じく、「付き合えるか、結婚できるか」の視点は双方向あるわけで。
一方的に選ばれる立場ではなく、こちらからもちゃーんと選んでますからね。それはお忘れなく(笑)

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