見出し画像

息子の成長と、私の成長。

4月の職場復帰が決まり、あと2ヶ月で育休も終わりだと思うと、急にこれまでの生活が恋しくなる。

夫とダブル育休を取り、夫婦2人で育児に専念する生活。迷いなく、家庭のことだけを最優先に考えられる生活。

終わりの見えない、真っ只中にいる時は、不安や焦りも少なからず感じていたのに、限りがあることを確信しただけで不安もまとめて愛おしくなる。不思議。

育休中、何度も思った。

息子はどんどん成長するのに、私は?

ついこの間まで、おっぱいを上手く咥えられずにフガフガしたり、やっと飲めたと思ってもすぐに吐き戻していた息子が、今では食パンを掴み食べ。寝返りを打って喜んだかと思えば、数ヶ月後には、つたい歩きもお手の物。

子供の成長は、早い。

たった数日、数週間で、どんどん出来ることが増えていく。数ヶ月も経てば、それはもう、違う人間なんじゃないかと思うレベル。

パワーアップしていく息子を横目に、代わり映えのしない自分を見て、げんなりしていた。それどころか、息子にエネルギーを吸い取られている気さえした。

特に母乳をあげていた時は、比喩でもなんでもなく、まさに栄養を吸い取られているわけで、このまま私の人生、おっぱいさながらしぼんでいくのかしら、と本気で考えた。

でも今、穏やかな気持ちで振り返ると、決してそんなことはないだろう。

思えば、産休に入ってからのこの1年(厳密には11ヶ月)、色々なことがあった。毎日が同じことの繰り返しと思っていた日々も、振り返れば激動の日々だ。 

なんてったって、臨月(長期にわたる妊娠中、最もソワソワした)、出産、初めての育児。

それらは経験するだけでも、人生を揺るがすくらい、すごいことだ。

息子の成長の凄まじさに圧倒されている間に、息子ほどではないにしても、私自身もたしかに進化を遂げていた。

目の前のことに精一杯で気づかなかった。夫しか対話する相手のいない、客観的な視点に欠ける毎日も、自分の成長に気づけない一因なのかもしれない。

そして、私自身も成長しているという事実以上に大切なことは、この成長が全て、息子のおかげだということだ。どれもこれも、息子がいるから経験できたこと。

息子は、私からエネルギーを吸い取りながら、同時に、彼の持つエネルギー、命そのもので私を成長させてくれていた。

そのことに気がついた時、私はこの、持ちつ持たれつの関係が、とても良いなと思った。親子なんだから、持ちつ持たれつが、ちょうどいい。

子供のために自己犠牲、なんて私は嫌だ。親ばかりが与える側だという前提自体が親のおごりだ。親が与えるのと同じくらい、子供も沢山のことを与えてくれる。

これからもお互いに助けあったり、迷惑をかけあったり、笑いあったりして、親子でなんとか生きていくんだろうな。

謙虚で、だけど、頼りになる。

そんな母に、私はなりたい。


励みになります。