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映画『悪は存在しない』の感想~難しいラストシーンとタイトルの解釈~【新作映画レビュー】

 映画をたくさん見るようになったのは学生になってからで、大学4年間で1000本鑑賞する、という目標に向かって現在も日々生活の一部に映画があります。(二回生)

 まだ忙しくて映画を見る暇もない高校生だった2022年に、「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー国際長編映画賞を受賞したとニュースでも取り上げられ、とても気になっていました。
 そしてちょうど一年後に大学生になった私が最初に鑑賞した記念すべき1本目が「ドライブ・マイ・カー」でした。とても面白かったです。

 そんな思い入れのある濱口竜介監督ですが、ほかの作品でサブスクで見られる作品は極めて少なく、今回の「悪は存在しない」が2本目ということになりました。

 公開が発表されてから公開劇場を調べてみるとめちゃくちゃ少なくて驚きました。しかもいつもは行かないようなミニシアターばかり。。。素直になんで?と思いましたが、濱口監督の貴重な作品(この機会を逃せばもういつどこで観られるかも分からない)ということもあって、これを観るための労力なんて厭わない、と劇場に2度足を運びました。
 ちなみに、その劇場では濱口監督特集をやっていて、「PASSION」と「偶然と想像」の2本も初鑑賞いたしました。

 一回目を見た率直な感想は「面白すぎる」でした。それプラスで「さいごはどうしてそうなった???」が止まりませんでした。

 分かりやすい面白ポイントととしては「会話劇」があります。この映画に出てくる登場人物の個性がそれぞれ際立っていて、そのキャラを存分に生かしたコメディチックな間合いとツッコミによってシュールなお笑いが完成しています。
 それに様々な人物の視点にフォーカスが充てられていて、感情移入ができやく、人情味・人間味のあるコントも堪能できます。

 話の本筋は、とある山間部の小さな村に「グランピング場」なるものを建設しようと動く芸能事務所と、それに反対する住民たちとの物語です。

 この映画の特筆すべき点は何より、先ほども申し上げた感情移入しやすい脚本・ストーリー構成にあると思います。

 開始早々、綺麗な自然の映像がずっと続きます。そしてそこで静かに暮らす人々の穏やかな日常も描いています。これによって主人公とその周辺にいる仲間たち、そしてこの村に愛着を湧きます。

 次に場面が変わると住民説明会になります。この場面では、グランピング場建設を画策している芸能事務所側に対して明らかな不信を抱く構図となっています。綺麗なこの村と静かで平穏なこの住民たちの日常が犯されるのではないか、とどうしても感情が入ってしまいますし、この説明会での担当者の受け答えもあやふや、計画がボロボロ等でほとんど善悪がハッキリとしてしまいます。住民側からの指摘では国からの補助金がらみの計画なのではないかとあり、これは極めて現代的(ここ数年よく耳にする案件)な話だなと感じました。

 しかし次のシーンに入れ替わると見方がまたごろっと変わっちゃいます。住民説明会での担当者の受け答えがあやふやだったのも頷ける、会社の上層部から押し付けられた言わば外れくじのような仕事だったのです。
 しかも住民の一人から指摘された補助金目当ての計画というのは図星で、はなからこの会社に誠意など見られません。

 ここでは先ほどまで責め立てられていた担当者たちが非常に可哀想に映ってしまいます。これで何となくタイトルの「悪は存在しない」の意味が分かりかけてきたなと兆候が見えます。

 住民説明会で出た言葉の中に非常に重要なカギを握るワードが2つ出てきます。それが、
「川の上流で起きたことは下のほうに影響する」
「大事なのはバランスだ」
の2つです。
 川の例えは芸能事務所の上層部にぴったり当てはまる言い当てです。”バランス”という言葉も人間関係、自然環境双方ともに言えることで、何かこの映画に隠された世間への大事なメッセージの一つなのではないかと思います。

 担当者の二人が主人公のもとへ車で向かうシーンは2人の葛藤や人間味が垣間見えて、微笑ましいシーンもあって非常にこの2人に感情を持っていかれます。

 こうしてぐるぐる回り続ける物語ですが、最後は不可解と言っても過言ではない終わりを告げます。

 鑑賞した方には分かると思いますが、失踪した花ちゃん、やっと見つかったかと思えば鹿に近寄り、その後気を失ったまま倒れる、その間カメラは変わり謎のスリーパーホールドを仕掛ける主人公。謎が謎を呼ぶ一連の流れに対する私なりの解釈を述べます。

 まずラストシーンで重要なのは鹿です。劇中、主人公は鹿についてこう述べています。
「鹿は人を襲わない。臆病だからすぐ逃げる。もし人を襲う鹿がいるならそれは人に慣れすぎた鹿か、逃げる力を失った鹿だ。」

 ラストシーンに登場する鹿は身体に傷を負っており、おそらく逃げる力を失っていると考えられます。というか実際人を目の当たりにしてビクともしていないのでそういうことでしょう。それに近づいて行った花ちゃんは恐らく鹿にやられたのではないかと考察します。カメラは肝心のシーンを捉えてはいませんが、文脈から言ってそうでしょう。
 
 その間ですが、カメラは主人公と高橋(担当者の男)のプロレスを映し出します。これは鹿vs花ちゃんの構図と全く同じものだと解釈しています。
 
 逃げる力を失い、自分の身を守るため戦うしかなくなったのが主人公ですが、何から逃げる力を失ったのかというと、

 グランピング場が村に建設されるのは、何か主人公にとっての大切な居場所が犯されることと同義であって、それが避けられないような状況が押し迫っている、と同時に高橋という人物とも話せる間柄になり「慣れた」ことによりスリーパーホールドで襲ったのかなと思います。

 鹿のフリが非常に聞いた秀逸な演出になっていますよね。2回目を鑑賞してこれに気づいた途端鳥肌が立ちました。

 最後の花ちゃんと鹿の映像はもしかしたら観客だけが見えている幻影だったのかもしれませんね。

 何しろ唯一無二の作品に出合った気がしました。非常に芸術的でメッセージが込められていて、粋な演出があって、見終わっても解決しない、議論が巻き起こるような傑作映画。本当に素晴らしかったです。濱口監督が新作を撮れば絶対に観にいくと決心した1本でした。

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