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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第7話(最終話)

 助っ人とは係長の東野さんだった。
 東野さんは長期の研修に参加して、4月にはこちらに戻っていたらしい。僕がほとんど接する機会がなかったのは、お互い現場回りで不在だったからだ。
 しかし係長を「アイツ」呼ばわりするとは、二人には何か因縁でもあるのか。
「東野は寡黙な男だ。黙って、ただ掘って掘って掘りまくる。うるさくて細かい俺とは大違いだ」
 そこは納得できた。どんな仕事も黙々とこなす係長は、三輪先輩と正反対だと容易に想像がつく。

 週末の早朝。集合場所に向かうと、白いSUV車の側で調査課の二人が話し込んでいた。いや、三輪先輩が一方的に話しているようだ。
「遅い。いつまで待たせるんだ」
「まだ時間前ですけど……」
「早く乗れ」
 三輪先輩は朝から機嫌が悪かった。助手席に座った先輩とは対照的に、東野さんは何も話さず淡々と運転した。
 車は東野さんの私物だ。後部座席にはテントや寝袋、ランタンなどが置いてあった。トランクにはスコップやバケツもあるらしい。
「なんだか本格的ですね」
「おい、葛城(仕事以外は呼び捨て)。お前が言いだしたことだろう。覚悟を決めろ」
 何の覚悟だろうか。よく解らなかったが、東野さんに習って黙ることにした。
 峡谷を横目に山奥へどんどん進むと、やがてアスファルト舗装が砂利道になり、砂利が消えると山道の轍だけになった。そこで車は停まった。
「ここまでか」
 先輩がそう呟いた。僕は目の前の杉の木に目を瞠る。まるで結界を張るように山に目隠しをしていた。中は薄暗いようだ。
 東野さんが胸ポケットからスマホを取りだす。
「山は電波も届きにくい。スマホの電源を切るぞ」
 モバイルバッテリーを温存させるため、僕も電源を落とした。予備のバッテリーも持ってきた。東野さんは地図と山用コンパスを取りだし、方向を見定めている。先輩が同行を頼んだのは彼が山男と知ってのことだろう。
「よし。この方向で間違いないな」
 三輪先輩が先陣を切り、二番目に僕、後方には東野さんが続いた。
 しばらくはキツい登りだった。道らしい道がほとんどなく、薮漕ぎ状態でどんどん体力を奪われてゆく。
「きゅ……休憩しましょう……」
 休憩したがったのは僕だけだ。だが忽ち先輩に先を急かされた。
「のんびりしてると熊に襲われるぞ」
 こんなところで熊や猪に出くわせば命の保証はない。僕は怖くなり、大袈裟なほど熊鈴を鳴らして必死に歩いた。
 何度目かの休憩を挟んだとき、先輩がおもむろにこちらを向き、驚きの言葉を口にした。
「肝心なことだから話しておく。この山は私有地だ。許可を取らないと登れない」
「えぇっ、そうなんですか」
「登り口の看板に、私有地と書かれていたじゃないか」
 そこまで考えが及ばなかった。随分と上まで登ったのに、困ったことになった。
「大丈夫だ。俺が最寄りのセンターを通じて許可をもらっている」
 なんと手回しのいい人なのだ。だが、今の今まで黙っていたのは意地悪な感じがした。
 私有地だから手つかずだったのか。そういえば登山道は手入れがされて、始めて安全に登れると聞いた事がある。
「勝手に登るとどうなるんですか」
「他人の庭に入って訴えられたら不法侵入罪になる。あれと同じだ」
「だとすると、他人の山を掘るのは……」
「駄目に決まっている。許可がないと何もできない」
 もしかすると、埋め戻しの件もそういうことなのだろうか。
「葛城。調査課は依頼を受けて、仕事として掘っているんだ。勝手なことをする訳にはいかない」
 僕は脱帽した。
 先輩は埋め戻しのことを話すために許可の話をしたのか。
 再び歩きだすと、後ろの東野さんが遅れているようだった。
「三輪先輩。東野さんがまだです。少し待ってはどうでしょうか」
「心配ない。東野は帰り道を確保するために印をつけている。すぐに追いつく」
 二人は阿吽の呼吸だ。仲が悪いのではなく、相手を信頼しているからアイツなどと呼べるのか。僕は何だかそんな仲の二人が羨ましくなった。

 休憩も入れて二時間ほど登っただろうか。
 急に視界が開けて、窪地らしい場所が目の前に現れた。山頂はまだ先だが、水が貯まるのはこの窪地に間違いない。
「やっと着いた……」
 僕は達成感を感じずにはいられなかった。伊佐摺山――僕を始め、先輩も東野さんも、この山に初めて足を踏み入れたことになる。
 窪みになった箇所は直径15メートルほどで、そこだけ木が生えていなかった。穴はそれほど深くないが、干上がり、底の土の凸凹したようすが見てとれた。所どころ地割れもしているようだ。
 僕が悠々と深呼吸をしている間に、二人は窪地に降りて下調べを始めていた。 
「東野、ちょっと来てくれ」
 二人はかがみ込んで何かを観察し始めた。僕も気になって後ろから覗きこんでみる。
 黒っぽい欠片が土から幾つも顔を出していた。埋まった部分を掘り起こすのは難しいようだ。土が硬く、下手をすれば傷をつけかねない。
「登る途中に滝が見えた。水を調達してくる」
 東野さんは避難用のウォーターバッグを持ち、下へ降りて行った。土を濡らして掘り起こすためだ。
「まさか、全て掘り出すんですか」
「んな訳ないだろう。ぐずぐずしないで写真を撮れ」
 僕は急いでカメラを出し、全景と四方から、あとは至近距離の画像を撮った。三輪先輩はすでに試掘を始めていた。
「うーん、やっぱり水が欲しいな」
 先輩と僕が土を眺めていると、水を持った東野さんが戻ってきた。
「近くで熊の糞を見た。日帰りした方がいい」
「わかった。早く水をくれ」
 二人はサンプル採取のために土と欠片を掘り始めた。
 僕は周辺をよく観察して、不思議な違和感を感じていた。
 土がところどころで微かに盛り上がりを見せているのだ。全体を通して見ると、大きな動物のあばら骨にも思えた。気のせいだろうか。
「先輩、東野さん、思い過ごしかも知れませんが……」
 二人が驚いて僕のそばに飛んできた。

 
「えー。なんで私も連れてってくれなかったのよ!」
 調査課のフロアには課長の大きな声が響きわたった。側には三輪先輩がいる。
「まだ確証がなかったからです。今度連れていきますから、先方と交渉しといてください」
 三輪先輩は僕に早く来いとばかりに手で合図した。話が長くなると思ったのだろう。
 窪地で見つけた骨はやはり哺乳類、鯨の仲間のようだった。
 伊佐摺山の標高は800メートルほどだ。地層がどの年代かは不明だが、鯨は何らかの理由で命尽き、朽ち果て、さらに長い長い年月をかけて隆起したと推測された。
 さらに骨は黒く変色していた。地層に含まれた成分、もしくは風雨に晒されたのかは不明だが、化学反応で色が変化した可能性もある。
 鯨を山に押し上げたことは地球の神秘の力としか言いようがない。僕はその現場に立ち会えたことを誇りに思った。
「楽しみですね」
 社用車を運転する三輪先輩に話しかけてみる。すると先輩は、
「葛城君のお父さんが、山へ連れてってくれたんだな」
 父が連れてってくれた――僕は涙が溢れそうになった。
 遺品から始まった僕の騒動は、絶え間なく拡がりを続け、伊佐摺山まで僕らを押し上げていった。まるで鯨の跡を追うように。

 ウインドウを下げると、タイヤが落ち葉を踏む音がした。冬が近い。外での発掘作業もそろそろシーズンオフに入ってゆく。
 しかし仕事は山積していた。調査課へ持ち帰った遺物を一つ一つ洗浄して整理し、図面を起こす。繊細で根気のいる作業が待っているのだ。
 僕は知円教授のご自宅に伺った時のことを思い出していた。お茶菓子にミルフィーユを出していただき、その時、教授がこう仰った。
「日本は狭いようで広い。遺跡はこのミルフィーユのように重なって、今も発掘されるのを待っているんだよ」
 人は先人の暮らしの跡に土を被せ、その上に新しく家を建てて暮らしてきた。今では時代も大きく進歩し、変化した。建物を作るには地中深くまで掘り返すため、遺物が出土しやすくなったのだ。
 これからどんな遺跡に巡り逢えるのだろうか。僕らは遺跡の端に、ほんの少し脚を掛けただけかもしれない。
「ハクショイ」
 三輪先輩がクシャミをして不機嫌そうに「寒い」と言う。
 風が強くなってきた。僕は慌ててウインドウを上げた。

〈終わり〉

#創作大賞2024


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