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鯨の轍〜新入り埋文調査員の日々〜 第1話

〈あらすじ〉
葛城祐樹は幼い頃から考古学の道を目指し、ついに埋文調査課勤務を射止めた。しかし最初に報告したかった父は他界し、発掘した遺跡を埋め戻すという厳しい現実が待っていた。
父の実家に残された正体不明の遺品を引き取った祐樹は、それが化石ではないかと考えた。過去に父と訪れた川原に手がかりがないかと伊佐摺渓谷を訪れるが、不運にもそこで遺品を失ってしまう。父の古本に記された短歌、著者との出会い、先輩の助けも借りて、祐樹はさらに調べを進めることを決意する。


「新人! じゃなくて葛城くん。早くこれを撮ってくれ」
 三輪先輩の手は泥まみれだった。
 僕は慌ててウエストポーチからカメラを取り出した。先輩の手元に木簡のような物が見えると、手は緊張からカタカタと震えてしまう。
「おい、ちゃんと撮れよ」
「はいっ」ピンボケしないよう慎重にシャッターボタンを押した。
 幹線道路造成工事――傍らの看板にはそう記されている。
 朝から晩まで泥だらけ、汗だくになりながら土を掘り返す。とても厳しい仕事だが、これほど夢と浪漫に溢れる仕事があるだろうか。
 現場では四か月前、弥生から鎌倉時代辺りの住居跡が見つかった。まず辺り一帯を重機で浅く堀り、のちに手掘りして遺構の概要を把握するという繊細かつ地道な作業だ。
 遺構は柱の土台や水屋、井戸、ごみ捨て場。出土した遺物は割れた土器や食器、硯に木簡が見つかった。
 遺物は持ち帰り、土を落として注記・接合・図面化、最終的には書物化する。もちろん時機を見て現地説明会も行なう予定だ。
 僕の尊敬する教授はこう言った。
「日本は狭いようで広い。遺跡はミルフィーユのように重なり、今も発掘されるのを待っている」
 初めて聞いた時はまったくもって意味が解らなかった。
 僕らは先人の暮らしの跡に土を被せ、その上に新しく家を建てて生きてきた。気の遠くなるような年月に思えるが、保存状態が良ければ数メートル、数十センチ単位で遺構が見つかることもある。
 時代は大きく進歩し、変化した。公共の建造物を作るにも地中深くまで掘り返すため、遺物が出土しやすくなった。開発工事や建築現場で遺構にあたると工事は中断されて、文化財保護法に基づき調査班が入る。けして珍しいことではない。
 
 あれは二〇二〇年のこと――僕は就活の面接で答えた一問一句まではっきりと記憶している。
「志望動機を教えてください」
「はい。小さな頃から考古学の世界へ飛びこむことを夢見てきました。それは父の影響が大きいと思います」
「貴方のお父さまは、考古学のお仕事をされているんですか。それとも……」
「いえ、普通のサラリーマンです」
 父は古いものが好きな人だった。
 週末になると、父は幼い僕の手を引いて遺跡や神社仏閣に向かった。渓谷で石を拾ったこともある。書斎には専門書がたくさん積まれ、歴史本や写真集、遺跡に関する本……僕は父の不在を狙い、読めもしない頁をめくった。
 使いこんだ机には愛用の拡大鏡が置かれていた。レンズを三つスライドするタイプで、父が出掛ける際はいつもポケットに忍ばせていた。
 僕は父の真似をして書斎を観察してまわるのが好きだった。ある時は虫を見つけて拡大鏡をのぞき、リアルすぎてギョッとなった。そのせいか今でも虫が苦手だったりする。
 父は不器用な人だった。
 或る梅雨の日、雷が鳴って烈しい雨が落ち、地面から白い煙が上がっていた。
 傘を忘れた僕はどうやって帰ろうかと生徒玄関に向かう。すると下駄箱の隅に、黒い蝙蝠傘を手にした父の姿があった。
「わざわざ迎えに来たの?」
「近くに用事があったんだ」
 父は無愛想だったが、僕はとても嬉しかった。
 両親が離婚したのは僕が十二歳のときだ。寡黙な父と闊達な母の空気が異なるのは幼い僕も肌で感じていた。離婚後、僕は母の実家に引っ越して、父とはそれきり疎遠になった。
 就職が決まり、父と一緒に酒でも飲もうと考えていた矢先に、訃報が届く。
 父は何日か仕事を無断欠勤しており、心配した同僚がアパートを訪ねて亡骸が発見されたという。持病の心臓を悪化させていたようだ。
 葬儀のときに読経を聴きながら、僕は遺影を見つめていた。歳を重ねた父の面影、僕の知らない父。昔を思っては記憶の中の父を探した。失って気づく存在の重さ――僕は流れるものも拭わずに静かに嗚咽した。
 最期に父は何を想っていたのだろうか。
 
――辞令 埋蔵文化財調査課 調査員 葛城祐樹――
 
 父の葬儀から三ヶ月。ようやく研修を終えて念願の部署に配属が決まった。
 嬉しいはずなのに心が弾まない。理由はわかっている。一番に報告したい人がこの世にいないからだ。
 でも僕はこの日のために頑張ってきた。日本史や世界史を深く学び、学芸員の資格を取得して、発掘ボランティアにも積極的に参加してきた。
 いよいよ調査課に配属される日が来た。
 埋蔵文化財調査課には、久能課長、東野係長、三輪さん、事務員の鈴木さん、あとは遺物整理をおこなうパートさんが常勤で二人。調査によっては臨時で十人以上加わることもあるという。課長が新人の僕を皆に紹介してくれた。
「葛城さん、ようこそ調査課へ。しばらくは三輪さんについて仕事を覚えてください」
「はい。よろしくお願いします」
 頭を下げると拍手が沸き起こった。僕の気持ちは昂る。いよいよ第二の人生が始まるのだ。
「なんでも聞いて。判らずに悩むのは時間の無駄だからな」
 三輪先輩は頼りになる兄貴といった感じだ。五歳上といえ課の中では年が近い。先輩は顔もよく焼けて行動力もあり、課でも一目置かれていた。
 その日も現場では、地道ながらも発掘作業が進んでいた。
 発掘作業をおこなうのは調査課スタッフだけでなく、考古学好きな人やシルバー世代のアルバイト、時々女性もいるが圧倒的に男性が多く、現場で汗をかきながら頑張っている。
 初めのころは「何か出た」というだけで「おおー」と歓声が上がった。例えば土器一つでもそうだ。しかし大量に出土するようになると、慣れもあってかスピードに拍車がかかるようになった。
 ひたすら掘って掘って掘りまくる。まだ凄い物が出るのではないか。最初に発見するのは自分だ。僕は感じたことのない高揚感に襲われた。
 今日は弥生時代の現場で骨らしきものが出た。鹿の骨ではないかと三輪先輩は推測した。
「この辺りは山でもないし、他から運んで食用にしたのかな」
 それだけ言うと「次の現場に向かうぞ」と僕を促した。現場は一つでなく、一日で幾つも回らなくてはならない。僕ら調査員は現場監督なのだ。
 そんなある日、衝撃を受ける出来事が起きた。
 発掘作業が終わった現場に重機が運ばれてきた。僕は何のための重機なのか不思議に思い、作業員に聞いてみた。
「ここを埋め戻すんです」
 つまり原状回復するということだった。僕は本当に驚いた。遺構の発掘はあくまで調査の一環であり、それが終了すれば幹線道路工事を再開する。その事実を知った僕は上司に物言いをした。
「遺構を残せないんですか」
「馬鹿なことを言うな。調査が終わって前の状態に戻すのは、当然のことだ」
 まったく相手にされなかった。
 工事中の発見だからなのか。僕は日の目をみた遺構を何としても残したいと葛藤した。でも無理なことだった。自分の無力さを感じずにはいられない。
〈続く〉
 

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