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車を運転するようになってから、車が人に見えるようになった


2023年1月30日(月)朝の6:00になりました。

思っているよりもずっと遠くに行けるのよ。

どうも、高倉大希です。




道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。

「誰も見ていない。よかった」


大学生になって、原付に乗るようになりました。

道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。

「歩行者も、原付の運転手も、誰も見ていない。よかった」


大人になって、車に乗るようになりました。

道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。

「歩行者も、原付の運転手も、車の運転手も、誰も見ていない。よかった」


夕焼けを美しいと感じるとき、そのまま切り取っても、美しさは十分に伝わらない。どうしたら、その美しさがいちばんよく伝わるかを考えます。デフォルメ(誇張)とアンプリファイ(増幅)という言い方を、ぼくはよくしています。

延江浩(2021)「言葉の教室」マガジンハウス


自分が原付に乗るようになるまで、原付に乗っている人の視線を意識したことはありませんでした。

自分が車に乗るようになるまで、車に乗っている人の視線を意識したことはありませんでした。


いまの自分に見えている世界なんて、所詮はそんなものなのだろうなと思います。

自分にすごいと思える力がないだけで、「本当はすごいもの」がきっとこの世にはたくさんあります。


エンターテイメントの役割は「人を幸せにする」のではなく、「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬社


足をつかって出会った発見には「自力でみつけたぞ」という付加価値が乗っかります。

逆に言えば、良質なつくり手はその余白を意図的にのこします。


道を示すために置く石は、わかりやすすぎると、すぐにみつかってしまいます。

だからと言って、遠くに置きすぎてしまうと、それはそれでみつけることができません。


いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


「本当はすごいもの」ほど、ふつうの見た目をしています。

美しいものは巧妙にカモフラージュされています。


それらをみつけるには、免許をとらなければなりません。

免許がなければ、身近にあるふつうの見た目をした「本当はすごいもの」を、一生見逃しつづけることになります。





サポートしたあなたには幸せが訪れます。