車を運転するようになってから、車が人に見えるようになった
2023年1月30日(月)朝の6:00になりました。
思っているよりもずっと遠くに行けるのよ。
どうも、高倉大希です。
道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。
「誰も見ていない。よかった」
大学生になって、原付に乗るようになりました。
道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。
「歩行者も、原付の運転手も、誰も見ていない。よかった」
大人になって、車に乗るようになりました。
道を歩いているときに躓いたら、思わずまわりを見渡します。
「歩行者も、原付の運転手も、車の運転手も、誰も見ていない。よかった」
自分が原付に乗るようになるまで、原付に乗っている人の視線を意識したことはありませんでした。
自分が車に乗るようになるまで、車に乗っている人の視線を意識したことはありませんでした。
いまの自分に見えている世界なんて、所詮はそんなものなのだろうなと思います。
自分にすごいと思える力がないだけで、「本当はすごいもの」がきっとこの世にはたくさんあります。
足をつかって出会った発見には「自力でみつけたぞ」という付加価値が乗っかります。
逆に言えば、良質なつくり手はその余白を意図的にのこします。
道を示すために置く石は、わかりやすすぎると、すぐにみつかってしまいます。
だからと言って、遠くに置きすぎてしまうと、それはそれでみつけることができません。
「本当はすごいもの」ほど、ふつうの見た目をしています。
美しいものは巧妙にカモフラージュされています。
それらをみつけるには、免許をとらなければなりません。
免許がなければ、身近にあるふつうの見た目をした「本当はすごいもの」を、一生見逃しつづけることになります。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。