言語が違えば、世界も違って見えるかも
2023年4月30日(日)朝の6:00になりました。
短い鉛筆を見て「短い」と思うことができるのは、長い鉛筆の存在を知っているからです。
どうも、高倉大希です。
You play the piano better than I do.
訳:あなたはピアノが得意です。
高校生のころ、テストでこう答えて、減点されてしまいました。
理由は「日本語に比較の表現が反映されていないから」だそうです。
言わんとしていることは、わかります。
そこまでを汲み取って、「あなたはわたしよりもピアノを上手に演奏します」と答えれば、丸く収まっていたのでしょう。
ただ、この問題での指示は「日本語訳を書きなさい」です。
はたして本当に、「あなたはわたしよりもピアノを上手に演奏します」が正解で、「あなたはピアノが得意です」は間違いになるのでしょうか。
高校生が英単語のテストの丸つけをしているときに、よくこんな質問をしてきます。
「答えには『重要だ』と書いてあるんですけど、『大切だ』でも丸でいいですか?」
自分が高校生だったころも、おなじような疑問を抱いていました。
「love」は、本当に「愛する」という意味なのだろうか?
すべての日本語訳にはきっと、「強いて言うなら」という枕詞がくっつきます。
「love」を日本語に変換する。
強いて言うなら、「愛する」がいちばん近いかな。
これが、単語帳に書かれている日本語訳の正体です。
だから、「『重要だ』は正解で『大切だ』は間違いである」という判断は、よっぽどのことがないかぎり不可能なのです。
ときどき、「横文字ばっかりつかいやがって」というような意見を目にします。
「コミット」とか、「エビデンス」とか。
「日本語で言えよ!」と思うからこその批判なのでしょう。
横文字を用いることで、カッコつけているようにも見えるのだと思います。
ただ、その一方で、横文字でなければ表現できないニュアンスがあることもまた事実です。
前述のとおり、複数の言語が一対一対応になることは、まずありえません。
日本語にはないけれど、英語にはある。
反対に、日本語にはあるけれど、英語にはない。
文化が異なるわけですから、このような事例がいくらでもあるのです。
これとおなじことが、個人間でも発生しています。
おなじ日本語を用いているからといって、あなたの言語とわたしの言語がおなじだとは限りません。
いやむしろ、あなたの「愛する」とわたしの「愛する」が、おなじであるわけがないのです。
おなじであるわけがないのに、ついついおなじ言語を用いている気になってしまいます。
あなたとわたしは「強いて言うなら」のもとで繋がっているのです。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。