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泣ける


2023年4月29日(土)朝の6:00になりました。

全米が泣いた、感動のヒューマンドラマをお届けします。

どうも、高倉大希です。




泣ける小説、泣ける漫画、泣ける映画。

わりと平気で「泣ける」という表現が用いられます。


「泣ける」の「る」は、「可能」の意味をもつ助動詞です。

より丁寧に表現するならば、「泣くことができる」になります。


「泣くことができる」という表現には、多少なりとも「願望」が混ざっています。

言わば、「泣きたい」という願いが込められているというわけです。


基本的に人間は、好んで泣くことがありません。

人前で涙を流すと、なんだか恥ずかしい気持ちになります。


それでもなぜか、わたしたちは「泣ける」という表現をつかいます。


何かについて人よりも五倍気がついてしまった人は、たぶんやるべきことも、背負う荷物も、人の五倍になるんじゃないかと思うんです。

糸井重里、邱永漢(2011)「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」PHP研究所


おそらく「泣ける」という表現を用いている張本人は、「感動できる」ということを伝えたいのだと思います。

「この作品は感動できる」という事実を、「泣ける」と表現しているわけです。


一方でわたしたちは、この「泣ける」という表現を見て、思わず惹かれてしまいます。

自分が涙を流す未来に、期待を寄せてしまうのです。


「孤独」ということを、どこまで自分の中に呑み込んで、つきつめていけるか。そしてその上でどこまで風通しよく生きていけるか。それを目指していこう、と。

吉本隆明(2017)「ひきこもれ」大和書房


前述のとおり、基本的に人間は、好んで泣くことがありません。

だからこそ、泣くときは、建前から感情が溢れ出た場面であることがほとんどです。

どうにもこうにも取り繕うことができなくて、涙を流してしまうのです。


もしかすると、恥ずかしいことなのかもしれませんが、一方で、わたしたちがそれを望んでいることも事実です。

心のどこかでは「泣きたい」と思っているのです。


ため息のわけを聞いてみても、自分のじゃないからわからない。
だから、せめて聞きたがる。わからないくせに聞きたがる。

BUMP OF CHICKEN(2006)「花の名」の歌詞より


泣けることは、もしかすると案外幸せなことなのかもしれません。

そして、そのわけを聞いてくれる人がいるということは、より幸せなことなのかもしれません。

さらに言うならば、そのわけをわざわざ聞かないでいてくれる人がいることは、もっと幸せなことなのかもしれません。





暦どおりのGWは東京にいることになりました。

せっかくなので、乾杯しましょう。乾杯できない方は、コーヒーを飲みましょう。

どなたもどうかご馳走してください。決してご遠慮はありません



サポートしたあなたには幸せが訪れます。