3月末のたこ焼き
あなたのご自宅に『たこ焼き器』はありますか?
大阪には必ず一家に一台たこ焼き器がある!と言われているが、あれは間違いである。
なぜなら僕の実家にたこ焼き器は存在しなかった。
とは言え、決して僕が大阪人でないわけではない。
七代前の御先祖様から約200年近く大坂城の近くの下町に住み続けているわけだから、十分にネイティヴな大阪人だと自負している。
ではなぜたこ焼き器がなかったかと言うと、自宅でたこ焼きを焼く必要がなかったからである。
僕は商店街のすぐ近くで生まれ育ち、徒歩5分圏内にたこ焼き屋が3軒程存在していた。
小腹が減ったな、たこ焼きが食べたいな、と思ったらぶらっと外に出るだけでことが済むのである。
たこ焼きはあくまでおやつ・スナック、すなわち小腹を満たすものであり、決して昼食や夕食に食卓を囲んで食するものではなかった。
そもそも夕食にたこ焼きを一家団欒で食すなど、我が家では絶対考えらへん行為であった。
ちなみにお好み焼きは立派なおかずである。ご飯と味噌汁と漬物がついてくるお好み焼き定食は最高のランチの一つである。天王寺の地下街にある名店「あべとん」は高校時代によく通った。
僕の友人、生粋の浪速っ子Tさんは「家にたこ焼器があるなんて田舎もんや!」と宣っていた。僕はさすがにそこまで言わんが、さすがは大阪原理主義者!と素直に感心してしまった。
僕が子どもの頃、一番お世話になったのは、近所の商店街の入り口にあったたこ焼き屋さんであった。
老夫婦が営んでおり、天ぷらも売っていた。天ぷら屋かたこ焼き屋か正体はよくわからぬが、てんかすをそのまま、たこ焼きに使えるので極めて効率的であろう。「ぼく、1個おまけしとくわな」と、そのおまけがやたら嬉しかった幼少期。今は、そのたこ焼き屋の跡地には大きなビルが立っている。
*
昨年以降コロナの影響が減り、大阪は実に多くの訪日外国人で賑わっている。ミナミは道頓堀は毎日、大賑わいだ。ここには実に数多くのたこ焼き屋がある。有名なところでは「わなか」「くくる」「大たこ」など数多くの有名店が軒を連ねる。
たまに夕食を食べ損ねた仕事帰りに「ああ、たこ焼きが食べたい」となるが、ミナミ道頓堀は観光客が多すぎて落ち着かないし、値段も高い(観光地価格だ)。
そんな時は近所のたこ焼き屋さんである。
ご高齢の女性が1人で営んでおられ、最近では店を開けている時間は19時から21時までのたった2時間だ。
値段は200円で6個から。僕ははいつも9個300円を注文する。するとおばちゃんはいつも「にいちゃん、一つオマケしとくわな」と言ってくれる。これが嬉しい。やれやれ、50歳になっても僕は変わっていない。
僕は近くの自動販売機で缶ビールを買い、すぐ横の公園のベンチに腰を下ろした。3月下旬とはいえ、まだ少し肌寒い。手元のたこ焼きの暖かさがありがたい。
小ぶりで外は少しサクッとしているが、中はトロトロのたこ焼き。
ソースと青のりと鰹節の、僕が一番好きなタイプのとてもシンプルなたこ焼きだ。
僕はたこ焼きを一つ口に放り込んだ。
熱っうう!!
僕はあわててビールを流し込み、かろうじて口内が火傷するのを防止した。このタイプのたこ焼きは中が熱々なので気をつけないといけなかったのだ。僕は「はふはふ」と慎重に食べ進めた。
ふと空を見上げるとオリオン座が見えていた。大阪のど真ん中でも星が見えるのだ。
寒空の下で食べる熱々のたこ焼き。
少し冷えすぎたビールで流し込む。
来週にはこの公園も桜が咲き乱れるだろう。
春だ。
僕は次の言葉をふと思い出した。
春が来れば夏が来る。
夏が来れば秋が来る。
秋が来れば冬が来る。
そして冬は必ず春となる。
季節は必ず巡っていく。
そう、どんな状況もいつかは必ず変わる。
僕にとってこの冬は、まるで冬眠していたかのような冬だった。
僕は長い長〜い夢を見ていた。
それは暖かな底なし沼の中にいるような、とてもとても優しい悪夢だった。
なかなか、そこから抜け出せなかった。むしろどんどん深みにはまった。
けど状況は反転する。
新しい季節を感じる柔らかな夜風を感じた夜。
熱々のたこ焼きを食べた僕は、なぜか前へ進むエネルギーを背中に感じていた。
身体が前へ進みたがっている。
そう感じた。
なぜかはわからない。
ただ、そう感じたのだ。
"Winter always turns to spring."
冬は必ず春となる。
「さて、行きますか」
僕は腰を上げて歩き出した。
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