見出し画像

(小説)バレンタインを祝日に!

「なんでバレンタインなんてあんのかな」
 アイがつぶやいた。
「超めんどくさいよね〜」
 あすみがグラス片手に言った。
「義理でも数多いとお金かかるしね〜」
 ミリが嘆いた。

 夜、居酒屋で3人の女が、もうすぐ終わる今日という日を嘆いていた。今日は2月14日、バレンタインデーだ。

「しかも今月、いつもより給料少ないんだよね。年末年始の休みのせいで」
 ミリが言った。
「ミリのとこ、当月払いだっけ?」
 あすみが尋ねた。
「20日締めの月末払い」
「じゃあ、年末年始の休み全部今月の収入にかかってくるんだ」
 アイが言った。
「そう」
「ていうか年明けに出費かさむ行事とかマジやめてほしい」
 ミリが言った。
「非正規は辛いよね」
 あすみが言った。あすみも非正規で働いていた。この3人はみんなそうだ。
「しかも非正規なのに、礼儀とチョコは正規並みに求められんの」
「みんなチョコ配るの?」
 アイが尋ねた。
「そうなの!」
 ミリが叫んだ。
「そういう暗黙の了解があんの!おかげで今月赤字!」
「うちは女ばっかの職場でよかった」
 あすみはお弁当屋さんでバイトしている。いつもはおばさんたちの口やかましさと悪口に閉口しているが、バレンタインには何もしなくていい。楽だ。
「うちも人間関係が全くなくてよかった」
 アイが言った。アイはコールセンターでバイトしながら絵を描いている。
「うちはみんな仲いいからさ〜」
 ミリが言った。
「普段は働きやすいんだけど、こういう時めんどくさい。やたらにモノが飛び交うの。お菓子とかお土産とか。でも私そんな買い物する余裕ないじゃん。かといってもらいっぱなしもうしろめたいし」
「非正規で一人暮らしだとギリギリだもんね」
 同じく非正規で一人暮らしのあすみが言った。一人だけ実家のアイは少し気まずそうにフライドポテトをつまんだ。そして、
「バレンタイン超いらねえ」
 と、うなるような低い声でつぶやいた。
「いらね〜!」
 ミリが叫んだ。
「必要ないよな、日本に」
 あすみが言った。
「それにうちら本命いないし」
 アイが言うと、あすみがガハハハと笑った。ミリもつられて声を上げた。
 しかし、ミリには、実は、気になっている人がいた。


 今日の朝、ミリは、その他大勢のための小さなチョコレートに混ぜて、一つだけ特別なものを用意していた。少し大きめの箱で、有名なメーカーのものだ。渡したい相手は、一つ向こうの席に座っている浜田主任。優しくて、イケメンだ。ここ数年はマスクで顔がよく見えなかったけれど、それでも彼の魅力は衰えない。目下の人にも丁寧に優しく接してくれるし、決して威張らない。目下や後輩に威張らない人間なんて、今時、男だけでなく女の中にもめったにいないのに。
 ミリは新人の頃から、浜田に憧れていた。去年まではみんなと同じ義理チョコを渡していたが、今年は思い切って特別なものを渡そう。そう決めた。
 しかし、
「浜田主任」
 チョコレートを渡そうと近づいた時、気づいた。
 彼の左手薬指に光る、リングに。
 ミリはとまどった。浜田主任が結婚しているなんて聞いたことがない。どうしよう。
「何?」
 浜田主任が振り向いた。
「あのっ、これ、今日バレンタインなんで」
 ミリはうまい言い訳を必死で考えた。
「ご家族で食べてください」
 言ってしまってから、大きめの箱を選んでよかったと思った。原田主任は嬉しそうにチョコレートの箱を受け取り、すぐカバンにしまいこんだ。
 ミリは明るく振る舞いながら残りのどうでもいいチョコを配り、同性の同僚から友チョコをもらい、自分の席に戻ってからは涙をこらえながら仕事をした。
 どうして、どうして、誰も、
 浜田主任が結婚していることを教えてくれなかったのだろう?
 今まで、けっこうみんなと仲良く話していたのに、奥さんの話なんて聞いたこともなかった。
 浜田主任がいないとき、隣の子に
「浜田主任って奥さんいたっけ?」
 と聞いてみたら、
「えっ?知らないの?1年ちょっと前くらいに結婚して、元モデルの奥さんがいるんだよ。自慢したくないからあんまり話題にしないらしいけど」
 と言われた。会社の偉い人や正社員は、結婚式に呼ばれていたらしい。
 知らないのは、自分だけだったのだ。

 
 
「それでさあ、お詫びにもっといいものを送ってくれって言ってくんのよ?確かに間違って送った会社が悪いけどさあ、その態度何って思うじゃん。私が送ったわけじゃないのにきっつい声でギャーギャー言われてさあ」
 ミリが物思いから我に返ると、アイがコールセンターのクレーム客の悪口を言っていた。
「いやでもさあ、楽しみにしてたのに違うもの届いたら、やっぱがっかりするじゃん?」
 あすみが言った。
「あんたどっちの味方?」
 アイがあすみをにらんだ。
「アイさ、絵は売れてる?」
 話題を変えたくて、ミリが尋ねた。
「こないだ一枚売れた。つまんない風景画が」
「いいじゃん売れたんだから」
 あすみが言い、ミリもうなずいた。アイには特別な才能がある。思い描いたものを何でも上手く絵に描けるという能力が。
「でも、私のたましいはあんな絵には現れない」
「あ〜ハイハイ」
 アイが『自分が本当に描きたいのは〜』という話を一度始めてしまうといつまでも終わらないので、あすみはてきとうにはぐらかそうとして、
「バレンタインに何やってんだろうねうちら」
 そう言って、ビールを多めに飲んだ。
「バレンタインまじどうでもいい」
 ミリが言った。今日起きたことはすべて忘れたかった。
「そうだ!」
 あすみが大声をあげて手を叩いた。
「バレンタインを祝日にしね?」
「祝日?」
 アイが尋ねた。
「そう、休みにしちゃうの!国民の休日に。そしたらうちらはバレンタインに会社に行かずに済むから、義理バラまく必要もなくなる!」
「いいね」
 ミリがにやけた。
「学校も休みだ」
 アイが言った。
「学生にとっては悲しいんじゃない?告白するチャンスがなくなる」
「チョコレート業界も大打撃」
 ミリが言った。
「いいじゃん学生の本分は勉強なんだし、チョコレート業界よりうちらの生活費の方が大事だって」
 あすみがスマホを取り出した。
「『バレンタインを祝日にするための署名活動』をしよう」
「えっ!?マジでやんの?」
 ミリが笑いながらあすみのスマホをのぞいた。
「恋愛しか取り柄がない学校の女子が泣くよ」
 アイがそうつぶやきながら考えていたのは、大学ではじめて付き合った彼のことだった。

 
 アイはその男のことが好きで好きでたまらなかった。だから、どこに行くにもついて行った。他の女が近づいて来ようものなら妨害し、男友達だけで遊ぼうとするとすねた。とにかく好きで好きで好きで──しまいには怖がられた。
「お前と一緒にいると、のみ込まれて死ぬんじゃないかと思うことがある」
 ある年のバレンタイン、手作りのチョコを渡そうとしたアイに、男は言った。
「お互いのためにならない。俺は怖いし、お前はおかしい。だから別れよう。もう連絡しないでくれ」

 一時の気の迷いだと思った。アイはその後ずっと彼からの連絡を待っていた──実を言うと、今でも待っている──のだが、その後彼からは何も言ってこない。こちらから連絡しようにも、電話番号もメールアドレスも変えられ、LINEやFacebookのアカウントさえ消えた。そこまでして彼は自分から逃げたかったのか。アイは未だにそのことが認められない。まだ、いつか帰ってくるのではと思っている。ただ、そんな自分はどこかおかしいのではと思ってもいる。なので、この話は友人2人にもできずにいる。


「でもさあ、学生の時はバレンタインって楽しかったよね」
 ミリが言った。フライドポテトの最後の一個を口にしながら。
「あん時は費用は親が出してたしね」
 あすみが言った。
「そうじゃなくて!純粋に何かを好きな人にプレゼントするって感じだったじゃん。社交辞令とかじゃなくて」
 ミリが言った。
「そうかぁ?学校の義理チョコもわりと社交辞令っぽくなかった?あんま好きじゃないけど同じ班だしとりま板チョコでも渡しとくかみたいな」
 アイが言うと、
「板!板はねえわ!もらっても嬉しくね〜!ガハハハ!」
 あすみが彼女らしく豪快に笑ってから、
「実はさ、私も中学の時チョコ渡したことあんのよ」
 と言い出した。ミリのアイはびっくりした。友達を悪く言いたくはないが、あすみは3人の中で一番地味で、恋愛なんかとてもしなさそうに見えたのに。
「学級委員をしてた彼がさ、成績も良くて運動もできて、かっこよくてさ、3年の、もうすぐ卒業ってときのバレンタインに、思い切ってチョコあげることにしたんだけど──」
「だけど?」
 ミリがうずうずしながら尋ねた。
「直接渡す勇気がなかった」
 あすみが言った。
「だから、教室移動だったか体育だったか忘れたけど、教室に誰もいないときに、彼のリュックにこっそりチョコレートを入れたの!」
 ミリとアイが『キャー!』と叫んだ。
「それで、どうなったの?」
 アイが尋ねた。
「別に何も」
 あすみが言った。
「何も?」
 ミリが尋ねた。
「チョコに名前書くの忘れた」
 あすみが言いながらおどけて舌を出した。
「だから彼、誰が自分にチョコくれたのかわからなかったんじゃない?」
「えー!?」
 ミリが叫んだ。
「そこは卒業式に『実はあれは私です!』って告白するとこでしょう」
 アイが言った。次の絵のテーマはこれにしようと思いながら。
「そんな勇気なかった。あっという間に受験でしょ?卒業式でしょ?気がついたら高校生になってて、彼の連絡先もわかんなくなって、それっきり」
「もったいなーい!」
 ミリが叫んだ。
「その時名前付きの手紙も入れとけば──」
 アイが言った。
「何か変わってたのかなぁ!う〜ん!」
 あすみは気恥ずかしさと懐かしさで、笑いながら身震いした。
 3人はちょっとの間黙って酒を飲み、
『やっぱり、バレンタインっていいものかなぁ』
『なくさない方がいいのかなぁ』
 と思い始めたりした。ちょうど酔いが回ってきて、自分達にも純粋な頃があったのだ──などと、ありもしない美しい青春を想像したりもした。
 しかし、

「タダオちゃ〜ん、こっちこっちィ」
 派手な化粧とスーツ姿の中年の女が、歳に合わない甘ったるい声を発しながら店に入ってきた。
「待ってよマリコちゃ〜ん」
 酔っ払ったような赤い顔の、いかにも昭和っぽいメガネに七三分けのオヤジが、これまた似合わない甘えた声を出しながら女のあとを追いかけていった。
「今日はバレンタインだよォ〜」
 オヤジが言った。
「わかってるわよォ〜」
 中年の女が言った。
「だからぁ、今日は二人でお・た・の・し・み」
 中年カップルはフラフラした足取りで、店の奥の座敷席に消えた。
 女3人は呆然とその2人を見送った。美しい青春の夢は、現実の汚さに破られた。
 一番驚いたのはミリだった。
「どうしよう、今のうちの課長だ」
「ま〜じ〜で〜!?」
 あすみとアイが叫んだ。
「何やってんだろう。課長は奥さんも子供もいるのに」
「あれが奥さんじゃないの?」
 アイが言った。今の2人を風刺画にしたらどうだろうと思いながら。
「違う。絶対違う」
 ミリがはっきりと言った。課長の奥さんは会社のイベントに来るので、ミリは顔を知っていた。もっと大人しくて上品な人だ。あんな派手ではないし、甘ったるい声なんか出すはずがない。
「やっぱりバレンタインは祝日にする?」
 しばらく経ってから、あすみが2人に尋ねた。
「うん、それがいいよ」
 アイが言った。
「休みにしよう。会社も学校も休み。ついでに不倫も禁止しよう」
 ミリがまじめに言った。
「署名運動だけじゃなくて、政府に意見書書いたほうがいいかな」
 あすみもけっこうマジな目になっていた。
「なんか、どっかの省にインターネットで意見書けるとこなかった?」
「バレンタインって何省?」
 アイが尋ねた。
「バレンタインじゃなくて国民の祝日を扱う省でしょ、今調べる」

 こうして、女3人は、『どうやってバレンタインを祝日にするか』『どうやって署名を集めるか』『政府への意見書に何を書けば効果的か』をかなり真面目に話し合って、この聖なる日を過ごしたそうな。




 

お読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは、学習・創作のための資料、趣味、生活費などに使わせていただきます。