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外では『普通の人のフリ』しないと生きていけないのよね……


先日、こんな記事を見つけました。

 この記事の方は、
「外モードの真面目な彼を本人だと思って結婚したら、内モード、つまり本性が全然違っててショック」 
 と書かれていて、でもそれは彼が今まで生きるために必要なことだったんだと理解されてます。


 でも、嫌ですよね。 
 まじめな人だと思って結婚した人が、 
 実は全然違うふざけた口の悪い人だったら。


 私これわかるんですよ。

 私も働くときは、
『おとなしい普通の人』
 
のふりをして生きています。
 じゃないと就職も仕事もできないから。

 そして実は私、親や家族の前でも、
『おとなしい普通の子のふり』
 をしていました。
 私の母と弟が、些細なことですぐにキレて怒鳴る暴れる叩くを平気でやる人でした。ビンタされたり髪を引っ張られたり、理不尽な理由で怒鳴られる日常。
 自分を守るためにじっと黙っていることを選び、変な本性はノートに書く空想にしか発揮していませんでした。今でも文章以外の自己主張の仕方がよくわかりません。

 過剰にいい子していたんですね、今思うと。

 家族とはその後、縁を切りました。
 限界が来てしまったんですね。
 最後に母と話したとき、
「自分こんなに怒鳴れるんだな」
 と自分でびっくりするくらい、怒鳴りまくりました。今までの人生でできなかったぶん全てを。


 話を「外モード」「内モード」に戻すと、

 会社で働くには、
 常識的な人間でなければなりません。
 なので、外では『真面目な社会人』を演じます(ただし、『演じている』だけで『本当にそうなる』ことはできませんので、よ〜く見たり長く付き合うとボロが出まくるのです。就労支援の人にも見抜かれました『水島さん、実はおちゃめな人だよね』とか。めっちゃ恥ずかしかったわ!)。

 しかし、一旦家に帰ると、
 力尽きて本性が出ます。
(私は一人暮らしをしてからはじめて本性が出せるようになりました。実家では無理でした。実家に帰ると、いつブチキレるかわからない母や弟に怯えて警戒モードになってしまうからです)

 撮りためたドラマをだらだら見る。
 姿勢が悪い。
 隙あらば寝っ転がりたい。
 集中力なくてやることコロコロ変わるくせに、
 空想や好きな本にだけ過集中。
 ふざけたお話を書いたりする。
 突然歌いたくなる。
(実際に歌うことは少なくなった)
 家事できない。
 部屋散らかってる。
 貧困なのに本とか買っちゃう衝動性。

 他にもまずいことはいっぱい。
 自覚してないこともやってるかもしれない。
 
 話す人が同じ部屋にいないのでわからないですが、たぶんいたら、仲良くなるにしたがって言葉遣いも悪くなることが予想されます。

 昔から言葉遣いが悪いのは気にしていて、敬語の本などで確認したりはするのですが、
 たぶん素で話したら育ちの悪さが出る。
 


 
 外では、自分とは程遠い人まじめな人になる。
 音とかに敏感で、
 ささいな物音とかにビクビクするし、
 言葉のきつい同僚の話を聞くのもつらい。
(普通の人の会話がきつく感じることがある)
 外モードは、我慢の連続。
 


「だったら演じないで素で働けば?」
 とか言わないでください。
 無理です。


 部屋にいる私を見ればわかります笑

 ほんのごく一部の、芸術家っぽい仕事とか自由業の人で、素の内モードのまま仕事できてる人いますね。羨ましいです。余計なエネルギーを消費せずに全力で何かをできるっていいなと思います。成果が全然違ってくると思う。

 しかし、みんなが才能や環境に恵まれてるわけじゃない。
 

「生活費を稼がないと生きていけない」
「大半の会社は、常識的な普通の人にならないと雇ってくれない」
「だれもが起業や自営業に向いているわけではない」
(私は向いてないと思います。『自主的に動く』という能力が欠落しているためです)

 そういう現実がある以上、
「外モード」は、残念ながら必要です。


 でもね、罪悪感もあるんですよ。
 本当の姿を見せていない。
 嘘をついているようなうしろめたさ。

 でも、だからって素で会社員できるか?
 それは無理なんです。
「配慮がある」障害者雇用でさえ、
「常識」「真面目さ」は必須です。


 これが辛くて就労につまづいてる人、
 多いんじゃないかなあ。
 自分でいることが許されない社会環境。


 人によって程度はありますが、
 自閉系の人が素を出せる場所って、
 自分の部屋以外ないんじゃないだろうか。
 福祉施設でさえまわりの目があります。

 障害者の支援をしている施設でも、
 やってることは一言で言えば、
「いかに障害者っぽさをなくして、普通の人(会社員)に近づけるか」
 という訓練ばかりです。
 海外みたいな「個性を伸ばす」教育は、日本ではほとんど実施されていません。ほんの一部の人しか、素のまま育つことはできない。
 素が出せなくなってしまうのは、 
 教育の問題でもあると思う。


 
 余談ですが、
 重度の知的障害の人の中には、発声をコントロールできない人がいるそうです。
 突然大声を出したりなんか言ったりするのですが、好きで出しているのではなく、どうしても出てしまうんだそうです。
 本人には止められない。
 仕方ないことなんです。

 そこまで重くなくても、
 つい余計なことを言ってトラブルになるとか、
 そういう話はよく聞くので、
 自分でも怖いんですよね。
 余計なことをしゃべってしまわないか。



 


 

 人にはどうしても裏表ができる。
 生き抜くために。


 私が人を信用できないのも、
 これのせいかもしれない。
 身内が暴力的だったこと。
 自分も世の中では本性出せないこと。
 外で良さそうな人に会っても、
「うちに帰ったら態度豹変するんだろうな。本当は暴力振るってるのかも。うちの家族も外面は良かったけど中では最悪だったしな」
 とか思ってしまう。
 自分や身内に裏があったから、
 他の人にも裏があるかもと疑ってしまう。


 心からの信頼関係とか、
 信用とか、
 築きにくいですよね。
 世の中の問題もあるし、
 自分の問題でもある。


 ほんと、なんでこうなんだろうなあ。
 悲しいなあ。あ〜あ……。


 冒頭の記事を見て思ったのは、
 仲のいい人には、早めに素を見せておいたほうがいいかもしれないということ。
 少なくとも、結婚する前、
 つきあっているうちに。


 でもなあ、怖いですよね。
 せっかく誰かと仲良くなれても、
 素を見せたら嫌われそうで。

 しかし、偽の自分で好かれても、
 あとあと苦しくなるだけだと思うし、
 いずれバレるに決まってるし。

 どうしたらいいのかなあ。
 考えているんだけど、よくわからないです。

 世の中に変わってほしいと思っても、
 無理ですもんね。


 もう少し、変わり者を許容する社会になってほしいなと思います。
 世の中これだけ多様性を叫んでるのに、
 肝心の会社、職場の多くが
『一般的なおとなしい真面目な人』の型にはまった人だけが雇用される単一色になっている気がして。

 多少の変さは、見逃してくれませんかね。


 私に考えられるのはここまでですね。
 力なき我の悲しみ。


 こんなまとまりのない文章を読んでくれて、
 ありがとうございました。




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