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父も生産性にしばられていたのかもしれない
先日、亡くなった父が夢に出てきた。
一緒に車に乗っていたのだが、いつもは運転席にいた父が、なぜか後部座席にいた。運転は見知らぬ男がやっていて、なんだか走り方があぶなっかしい。
「いっつも自分で運転してるのに、変な感じしない?」
と私が聞くと、
「緊張するなあ」
と言って笑っていた。
そこで起きてしまったので、車がどこに向かっていたのかは謎である。
私は自分なりにこの夢の意味を考えた。
ちょうど、寒波の中無理をして職場まで歩いて、低体温症になりかけたりした後だったので、
「なんでも自分でやらないで人に任せろよ」
「不安だろうけど物事をゆだねてみろよ」
または単に、
「無理すんな」
という意味なのかなと思ったりもしたが、生前の父を思い出すと、彼こそが『なんでも自分でやらないと気がすまない』人に任せるのが苦手な人だったことに気づいた(ただし、昔の男らしく、家事や子育ては都合よく妻に任せっぱなしだったけどな……)。
そしてさっき、こんな記事を読んだ。
病気になると『人に迷惑をかけてしまう』と思ってしまうのは、『生産性』を気にしてしまう世の中の見方に影響されているから……という内容だと思うけど、うまく要約できないのでみなさん記事を読んでほしい。ぶっちゃけ、私の記事なんて読まなくていいから、上の記事をポチッと押してほしい。とてもいいことが書いてあるから。
これを読んで、
私はやっぱり亡き父を思い出した。
はっきり言って、私は父の強さよりも、人間的な弱さとか欠点のことをよく記憶している。
誕生日に私がプレゼントを渡そうとしたら、ものすごく嫌そうな顔で、
「俺が稼いだ金で買ったんだろ?」
と言ったのだ。
なんだか一頃SNSで話題になっていた『モラハラ夫』みたいな話だけど、私はそれで、
「父自身が、生産性に囚われて苦しんでいたのかもしれない」
とさっき思った。
私は祖母と仲が良かったので、父が祖父にどうやって育てられたか教わって知っていた。
祖父は、竹刀で父を殴ったり、罰として押し入れに閉じ込めたりしながら育てていた。(これには、祖父が体験したシベリア抑留も影響しているかもしれない。過酷すぎる経験をしたため、人が変わってしまったらしい。私には優しい祖父だったけど)。
父は長男だったため、祖父は、自分が起こした自営業のあとを継がせるべく、子供の頃から仕事をさせていた。祖母が言うには、
「下の弟はなにもしなくても野球のグローブとか買ってもらえるのに、あんたのお父さんは長男だから、仕事をしないと何も与えられなかった。かわいそうだとは思っていたんだよ」
たぶん、父にとっては、
「仕事ができない人間は価値がない」
「仕事しないと何も与えられない」
ということを、祖父と家業から徹底的に教わってしまっていたのではないだろうか。
だから、働きもしない、稼ぎもしない娘が、「俺が稼いだ金で」プレゼントを買ってきたことが不満だったのではないか。
父は「俺が子供の頃はチョコレートなんてなかったんだぞ」とか「お前らは楽しやがって」みたいなことをたまに愚痴ることがあった。
友達のお姉さんが金持ちと結婚したことについても「お姉さんの金で楽しやがって」と妬むような発言をしていた。
今なら理解できる。自分は、
「働かないと報われない世界」
で暮らしていたから、
「働かなくても報われちゃってる人」
がとにかく気に入らなかったのだ。
自分の子供すら、楽していると気に入らないのだ。
愚痴以外では、父はかなり無口だった。
ほとんど、自分のことを話さなかった。
それに比べて、弟であるおじさんはいくつになっても明るく天真爛漫だった。兄弟なのにまるで似ておらず、私はよく、
「あっちの家に生まれたかった」
と思っていたものだった。
同じ家に生まれても、育てられ方が違うとこうも変わってしまうのだ。
父は仕事人間だった。
そして、なんでも自分でやろうとした。
壊れた家電を自分で直そうとして、できないとスネて不機嫌になったりしていた。
頼むから普通に業者呼んでよと私は思った。
趣味はなかったと思う。
とにかく毎日仕事。
でも、ある日、病気で仕事ができなくなった。
きっと、自分に価値がなくなったと感じたのだろう。
あっさり死んでしまった。
まだ40代だった。
仕事なんかできなくたって、
生きてていいんだよ。
と、言ってあげたかった。しかし、あの父が私の話をまともに聞いたとも思えないのだ。昭和の男尊女卑をうっすらと引きずっている感じがする人だったし。働かない人の言うこと、聞かなさそうだし。
生産性。
働いて稼ぐことだけが正義。
それができない人は悪。
おかしな二元論が、世の中のいろんな所にはびこっている。
以前、障害者殺傷事件があった時、
「障害があるだけで殺されるなんて辛すぎる」
と、目の悪い方がSNSに投稿した。
すると、
「あなたは働いてるから生きてていいんですよ」
というリプがあった。
そのリプへの彼の返事は、
「絶対に許さない」
だった。
なぜかわかるだろうか?
「働いてるから生きてていいんですよ」
という言葉は、
「働いてなかったら生きてちゃいけないんですよ」
と言っているのと同じ。
そして、世の中には、
病気や障害で働けない人がたくさんいる。
その人達は「生きてちゃいけない」のか?
そんなはずはない!
だから、
「絶対に許さない」
になるのだ。働けない多くの仲間の命を守るために、彼はあえて自分に好意的に見える(けど実は差別的な)リプに反論したわけだ。
もうだいぶ前だから細かいところはうろ覚えで申し訳ないけど、似たような議論はあちこちで起きていて、そのたびに、『生産性重視』の人と、そうでない人がぶつかっている。
でも、岸見氏が上の記事で言っていたように、
子供に生産性を求める人はいない。
病気の人や介護が必要な人についても同じだ。
ただし、自分の父を思い出すと、小さな頃から生産性をたたきこまれて育った人ほど、同じように他人を生産性だけで見るようになるのではないかと思えてくる。
継ぐような家業がなくても、受験でそれをたたき込まれることもあるかもしれない。
とにかく成績を上げろ、
社会人になったら業績を上げろ。
すべては数字次第。
世の中が生産性に偏っているのは、
そのように育てられた人が多いからで、
それは、学校の成績や会社の業績を見るにはわかりやすい指標かもしれないけれど、
人間一人ひとりの個性や価値を見るときに、
それしか見えないと、
大事なところを見誤るのではないか。
それこそ、
『生産性の高い金持ちと結婚したら、実は超性格の悪いモラハラ暴力夫だった』
みたいなことになるのでは。
『人の気持ちがわかるかどうか』
と、
『成績や業績が良いかどうか』
は全く別の話であるし。
でも、その『生産性重視』の見方は、
自分が病気になったり、
弱い立場になった瞬間に、
崩れ去ると思う。
病気を経験した人ほど、
他人の体調にも理解があるものだ。
それは、体感でわかるようになるからだ。
『人間、どうしようもなくなる時がある』と。
人間性は、
人間一人ひとりの存在は、
生産性だけでは計り知れない。
夢に父が現れて、久しぶりに生きていた頃を思い出した。今思うと、いろんなことを父に頼っていたと思う。生活だけじゃなく、心理的にも。たとえちょっと問題のある人だったとしても。
父が亡くなった年齢に自分が近づくにつれ、
「ああ、この年代の大人ってこんなに大変だったんだなあ」
と、わかるようになってきた。
もちろん、父と私は全く違う別の人間だから、完全に理解するなんて不可能だけど。
働けなくていいから。
生きていてほしかった。
今では、切にそう思う。
今、自分が「働けない」という理由で、落ち込んだり死にたくなったりしている人には、
「そんなふうに思う必要はないんだよ」
と言ってあげたい。それから、そういう発想が自分のどこから来ているのか考えてみてほしい。
親がそういう人だったのか?
周りの人は?
読んでいた本や見ていた動画やテレビは?
どんな価値観をあなたに教えた?
それ、間違ってるかもよ、と。
読んでくれてありがとう。
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