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小説(文章)って本来、自分を成長させるために書くものだと思う
最近、文章を書くのがつらくなってきました。
chatGPTが出てきて、小説が『自動で生成できるもの』になってしまったのも影響しているのかもしれません。
自分で書いた小説に、読者がほとんどいないせいかもしれません。
でも、私は昔から、
誰かに読まれることは、
期待していませんでした。
生まれつき、頭の中にキャラクターが住んでいて、勝手に動いたりしゃべったりするので、
それを記録するのが楽しかっただけです。
なぜかわかりませんが、
生まれつきそういう頭なんです。
なので、私は自分でプロットを考えたり、キャラデザインをすることはありません。
それが、プロの作家になれない理由だと思います。売れるためのプロットとか、人気が出そうなキャラデザインとか、そういうこと、できません。何文字以内にまとめろ、みたいなことも、できません。
なぜなら、彼らは気づいたらそこにいるから。
最初から全て決まっているから。
勝手に動いて、勝手にしゃべって、
いろいろ起こすから。
隣に住んでいる他人みたいなものです。
隣の部屋に住んでいる他人の、
名前や見た目を勝手に変えられますか?
無理ですよね?
行動をコントロールできますか?
無理ですよね?
つまり、どんな人が出てきて何をしでかすか、私にはコントロールが難しいのです。
マンガなどを創作している人はみんなそうなのではないか、と私は思っています。
キャラクターが勝手にしゃべるのは、
当たり前のことなのです。
わざわざセリフを考える必要などないのです。
ほんとはもっと明るくて楽しい笑える話が書きたかったのですが、どの作品も、書いているうちに深刻なことが起きてしまいます。
それは、たぶん、
私が持っている価値観とか世界観、
今まで見聞きしたことが影響していると、
最近わかってきました。
なので、残酷なものや刺激的なものはなるべく見ないようにしています。
だからネットの広告が嫌なんですよ。
広告を見たくないがために、ネットやアプリの利用もあまりしていません。
文章を書くときとメルカリを見る時以外、あまりスマホを使いません。
今まで、頭の中の彼らの動きを記録して、それを小説にしてきました。『小説家になろう』に置いてあります。
たぶん、『ロンハルト物語』までは、
楽しんで書いていました。
ファンタジーだったからかもしれません。
ファンタジーって自由なんですよね。
なんでもありだから。
でも、今、現代の北海道を舞台に、
『サキと所長の2年半』
を書いているのですが、
書くのが、苦しいです。
毎日しんどいです。
日記形式なので毎日書かなければいけないというのもありますが、
つらい場面とか書くと、私もつらくなってしまうんですよね。
特に今年の前半は、こんな暗い話書いてて大丈夫かなって、かなり不安になって、体調が悪くなったりしました。
ネガティブな場面を書くと、体調が悪くなるんですよ。特に人が傷ついたり死んだりする場面は。でも、どうしても書かなきゃいけないので、
「現実と空想は別」
と自分に言い聞かせて、なんとか自分をなだめつつ書き続けていますが、今でも時々思い出してしんどくなったりします。
あと、もう1つしんどいのが、
これを書いている間に、chatGPTが出てきたんですね。
小説は、自動で生成されるものになった。
人が何年も、時に何十年も構想にかけて作っていたものが、自動で、一瞬でできるようになってしまった。
さて、自分で書く意味はあるか?
結論から言うと、
『自分の成長のために、楽しみのために、
自ら書く意味がある』
と思いますね。
小説、それも、長めのものを書ききったことがある人ならわかると思いますが、
人って、小説を書く過程で、
いろんなことで悩むんですよね。
考えるんです。けっこう本気で。
さっきも書きましたが、体調崩すくらい悩むこともあるんです。
書くことは運動に似ていて、やればやるほど見えないところで積み重なるものなんです。
長い小説を1つ書き終えた時、
あるいは、かなりの文字数書いてはみたけどボツにせざるを得なかった時、
(私もいくつかボツにした作品があります。本一冊分くらいの字数書いていたものを、いくつも)。
量を書くことで、
成長するんですよ。
その過程が、体験が、
重要なんです。
でも、小説を自動生成してしまったら、
万民受けする作品にはなるかもしれないけど、
成長はしませんよね。
作る、考える過程がないから。
(AIの使い方は身につくかもしれませんが)。
お菓子作りに似ていますね。
自分で作らないと上達しないけど、
今は自分で作らなくても買ったほうが早い。
でも、手作り体験って、
過程が楽しいんです。
失敗しても、それが思い出になり、
物語になるんです。
これについては、
男性にわかってもらえる自信がありません。
前に、
「女はなんで手作りしたがるの?クッキーなんて百均で買えるじゃん。無駄だろ」
という意見を聞いてびっくりしたことがあります。
そういえば、手芸でもお菓子作りでも、
手作りしたがるの、女性が多いですね。
男性は、結果や数値の出来を重視する人が多くて、過程を楽しんだり評価したりということをしない人が多い印象があります。
儲からないことは意味がないと思っている人が多いですね。そして、女性のやっていることをバカにするんですよね。
(そしてなぜか、自分の趣味にだけは惜しげもなくお金を使うんですよね……儲からなくても)。
手作りな好きな女性たち。
彼女たちは、体験にお金を払っているんです。
作る過程が楽しいから手作りするんです。
クッキーが欲しいわけじゃない(いや、うまくできることに越したことはないけど)。
モノより、体験に金と時間を使えって、
よく言うじゃないですか。
小説を書くことも、同じだと思います。
書くことで、自分がいろいろ考えて、
成長できるんです。
今、うっかり若者が主人公の話を書いてしまっていて、
「やめとくんだった……」
「2016年の高校生が何してるかなんて、40代の私にわかるわけないよ……」
といろいろ後悔しています。
でも、サキの話は2016年に書くと決めていたので(構想の都合、いろいろ事情がありまして……) やってしまうことにしました。本当はリアルタイムに2016年に書きたかったのですが、病気の治療などで体調が良くなかったので、気づいたら6年も遅れてしまいました。
こんどこそ完結させたいです。
時代錯誤は見逃してください……。
この話も、虐待とかいじめが出てくるし、現代の日本の話なので、自分の中の世の中に対する不満とか、自分の中に沈んでいた人間不信や差別意識とか、親子関係とか、自分の価値観や内面と向き合わなければいけないことも多くて、
書くの、つらかった。
今も、つらい。
深刻な場面を書くのは、特にしんどい。
でも、これを書くことで、
自分についていろんなことがわかりました。
自分の好みとか(平岸あかねみたいな、あからさまに性癖を出す人は苦手だな、とか)性的な話はやっぱりだめだなとか、昔書いた話が残酷なのはなぜだろう?昔見聞きした残酷な話が、自分の中で消化できなくてこんな形で出たのかな。傷ついていたのに当時は気づかなかったのかな、とか。今の日本に対する不満とか、いろいろな問題に対する自分の感じ方など。
いろんなことに気づきました。
それは、よかったと思います。
作品としては失敗かもしれませんが、
確実に私を悩ませ、
そして、成長させてくれました。
最後まで書けるかなあ。
3月まで書き続けられるかなあ。
どうなるのかな、あの二人。
(私には予想がつかない。
だって勝手に動くんだもん)。
あと、プロットができないとはいえ、
次に何か書く時は、少しは事前に計画を立てたほうがいいかなと感じ始めました。
今まで行き当たりばったりで、なんの計画もせずに小説を書いてきましたが。
やはり、まとまりがなくて、
読む人は読みにくいだろうし、
私も読み返しにくい笑
今の段階で反省点だらけです。
ですが、
何より、
空想を自由に書くって、楽しいですよね。
小学生くらいの頃にはもう、
ロンハルトのキャラクターをノートに書いて遊んでいました。
中学の頃には、今の小説に出てくるキャラクターがもう出現していました。橋本が死ぬことは、その時既に決まっていました。その謎を解くのもこの作品を書いた理由かもしれません。大人にならないとわからないことは、たくさんあるし。
あの頃は、ただただ書くのが楽しくて、人の評価なんて気にしていなかった(人に見せる気も全く無かった)。
もう一度、あの、
純粋に空想を楽しんでいた頃に戻りたい。
人の評価なんか気にせずに。
今の話が終わったら、
しばらく休んで、
自分の人生とか、書くことについて、
ゆっくり考えたいな、と、
最近、そう考えています。
結論。
誰も読んでくれなくても、
自分を知るために、
小説を自分で書く意味は十分ある!
でした。
読んでくれてありがとう。
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