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『普通の人になれ』という圧力が精神を病ませる〜『普通』はもはや昭和レトロな品だ

私自身発達障害で『どうして普通になれないの?』とか、重い幻聴で働けないときに、『どうしてもっとたくましくなれないの?』と親に言われたり(これ辛いんですよね。どうしようもないから)、自分でも、

「普通の人になりたいっ!普通に働いて普通に人付き合いして普通に結婚して普通に家買って…(以下、世の中の『普通』のイメージが永遠に続く)」

と強く思っています。ええ、そうなんですよ。
好きで障害を持って生まれたわけじゃない。
周りの人が思っている以上に、本人が気にしてるんですよ。自分が普通じゃないことは。




物心ついた頃から、『普通』を目指していました。
外では普通の人を演じてしまいます。
でも無理があるんです。
上手く行かないんです。

数十年経って、やっぱり正規雇用は無理どころか、大きな精神の病気を経験して、働けない状態になって、

最近、気づきました。

『普通』のイメージ、ハードル高すぎる。

 普通に働いて結婚して子供育てて家や車を所有して投資もして老後は働かずに年金で……。

そんな奴いたらもはや富裕層だ、今は。

NHKの、やや年配向けの番組が、
現役子育て世帯に向けて、
こんな話をしていました。

「親がやってくれたことと同じことを自分が子供にやってあげられるとは思わないで。親の世代は経済的に良い時代で、大学の授業料も安かった。今はそんなにいい時代ではない。同じことをしてあげられると思わなくていい」

これ、『普通』という言葉もそうだと思う。

高度成長期に『普通』だったことは、
今は『普通』ではない。
夢のマイホームは、本当に夢です。
非正規雇用や障害者雇用の人にとっては、
生活するのが手一杯で、
家を買うなんて不可能。
結婚だってできません。

しかし、今の『常識』『普通』の意識の多くは、
まだ『バブリー』なんです。
豊かな時代をひきずっているんです。


豊かでない今の世界では、
年金だけでは暮らせないので、
60代や70代も働いている人が多数派。
(これもNHKでやってて驚きました)。


今はそういう時代なんですね。
死ぬまで働く時代。
貧困の時代。
60代までに引退できるのは、
裕福な少数派。


そして、発達障害の人、いや、健常者も使いがちな『普通』という言葉、
時に、人生の大半を費やしてまで、精神を病んでまで追求してしまいがちなこの言葉。

『普通』は、ハイスペックなのです。
手を伸ばしても届かない月のよう。
月ばかり恋い焦がれていると、
狼男のように病んでいく。

「普通なんてないって」

と軽く言える人だったらいいのですが、なかなかそうも割り切れない。


改めて、『普通』という言葉を考える。

私は障害があるのですが、
一般企業で働いているとやはり、

「せめて就業時間内だけは普通の人にならなくては!」

と、過剰におとなしくていい人になってしまいます。
疲れます。
家に帰らないと本来のだらけた変な自分に戻れないので。
しかし、職場で本性は出せない(笑)
実は出ちゃってるんですけどね。
集中力がない障害でミスが多いと先方に伝えてあるので、上司が必ずチェックしてくれるのですが、一日数個は必ずミスが見つかるので。

つまり、
普通じゃないことは、
隠しきれないのです。
特に障害があると。


なのに、なぜ私は
『普通になりたい』と
いつも思ってしまうのか。

育った過程でついた悪い習慣でしかないのか。

発達障害の方の記事をnoteで読んでいると、やはり定期的に、
『普通になりたい』
『普通になりたかった』
『でも病気になった』
という人が出てきて、あ、自分と同じだと思いました。

『普通』を追い求めるのは、つらい。
それは『普通でない自分』を、
常に責めていることになるから
です。

自分を責めるのは良くない。
(何も悪いことしてないし)。

それはみんなわかっているはずなのに、
なぜやめられないのか。

外圧。
『働かざる者食うべからず』という日本社会。
この言葉だって『仕事があるのが当たり前』だった時代の産物かもしれない。

病気で働けない人もいるし、
財産があるから働かなくていい人もいる。
良く言えば多様性。
悪く言えば格差。


『普通』
の内容は人によっても変わります。
貧困層の普通と金持ちの普通は違う。
男の普通と女の普通は違う。
わたしのあなたの普通は違う。

私は北海道出身です。
本州の人とは感覚が違います。
所得はバブル時代から低い場所で、
小学生の頃は景気がよかったはずですが、
夫婦共働きが普通でした。
専業主婦はすでに少数派でした。

テレビで『専業主婦vs検校』なんていう、
下品なケンカ番組を平気でやっていた時代でした。


『普通』は、変わった。

今は、節約が普通。
低賃金が普通。
死ぬまで働くのが普通。
病気で働けない人がいるのも普通。
障害者がそこらじゅうにいるのも普通。
性的マイノリティーの人がいるのも普通。
コミュ障なんてめっちゃ普通。




ああ、人生をゆがめてまで追い求めた『普通』
それはもはや『普通』ではなかった。


前に『ダイヤの原石が出る!』という怪しいガチャを回したらアベンチュリンが出てきてがっかりしたことがあったんですが、
それに近いかもしれない。
(いや、アベンチュリンだってりっぱなパワーストーンなんですけど)。

私達(の世代)がなりたかった『普通』は、
今では富裕層のもの、
あるいは、昭和平成レトロな品となっていた。

そういえば最近昭和ブームですね。
ついでに駄菓子屋さんも蘇ってくれないかな。



レトロな夢を見るのは一時にしましょう。
現実を見るんだ。
今はそんな時代じゃない。






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