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アアルト大学教授が共有してくれた失敗談から学んだこと

今修士論文を書いているところです。その過程で担当教授に相談をする機会が多くなりました。
企業へのワークショップへの提案について相談した際に教授の失敗談を交えてアドバイスをしてくれました。

ワークショップをやる際の注意点として、参加者の前提をわかっておかないといけないと言われました。それは教授(アート学部)がエンジニア学部の修士学生にCreative and Critical thinkingの授業をした時のこと。あるアーティストのビデオを見せたところ、冷やかすように笑う学生が多かったそう。そこでそのビデオを見てどう思ったかを聞いたそうです。それには正解はないので自由に発言して、と加えて。その質問に対し、学生は間違ったことを言いたくないと思ったのか、誰も発言しなかったそうです。または、自分が何を感じたのかを言葉に表すことを行ってきていないので、何をするべきかわからない学生も多かったそう。自分の感情がわからない、失感情症という病気もあります。また男性は女性と比較しても自分の感情を言葉にする機会が圧倒的に少ないため、(もしくはそれをよしとされない社会的見えない規範のせいで)自分の感情と向き合えていない場合が多いと言われています。さらに、エンジニアの学生は正解やゴールがある社会で生きていれば、よりアートなどは無駄なものに思える、正解がないものに向き合う気持ち悪さがあるのかもしれません。

その授業のフィードバックはとても厳しいもので、「これまでで一番役に立たない授業だった」「教授を学部から外すべきだ」「意味のない授業だった」などなど。
教授はとても傷付いたそうですが、学部の学生によって大きな違いがあることがわかってよかったと言っていました。私の教授はUWAS(University-Wide Art Studies)という、他学部に渡るアートをコースの前トップでもありました。Interdisciplinary、どの学生も受けることができるアートの授業をデザインしていたからそう思えたのかも知れません。
教授も素直に学び続けている姿勢を見て、自分がどんな立場になっても私もこの姿勢を持ち続けたいと思いました。

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私がやろうとしているワークショップの流れはもしかしたら、私にとっては当たり前の学びの流れであっても、参加者にとってはわからない場合がある、アドバイスを受けました。どうやって自分の感情を言いやすい雰囲気を作るか、その雰囲気を段階踏まえてどう作るか、注意しなさいと。これはワークショップをデザインする時だけでなく、全く専門が違う人々と共創する場合にも大切になってくることだと実感しました。
こういった専攻、分野による考えの違いが日本だけではなく、フィンランドにも存在するということを知れただけでも大きな収穫でしたし、教授の生の体験、教育者としての葛藤を知ることができました。何より素直に失敗談を語ってくれた教授をとても尊敬しました。
教授が全て正しいのではなく、教授も失敗する、そんな失敗を一緒に共有して学び合う、そんな環境で学べていることに幸せを感じましたし、そのような学びを共有できる場を提供できる人間になりたいと思いました。

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