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週末だから好きな日々の音楽のこと。

TV番組「空港ピアノ」のシチリア島で、空港に訪れた観光客が置かれたグランドピアノでワインを飲み ほろ酔いで音楽を奏でる女性が映し出された。
その風景が酔わせる。
この番組は人気があったのか 様々なバージョンができた。
この番組で毎回 感動させられるのがピアノを奏でる人々それぞれの情報もさることながら・・・

彼らの言葉に惚れる。
共感させられる。

♪ 音楽は、僕の感情全てを受け入れてくれます。
 喜怒哀楽が、音楽のどれかに必ず当てはまる。

♪ 音楽は生活に一番マッチしている。

♪ 音楽が私の人生を支えてくれました。寄り添ってくれた。
 音楽は、唯一の一番の友です。

♪ 音楽がない人生なんて、寂しいよ。悲しいよ。
 
「そうそう。」と思わず頷いてしまった。
仕事をしていない時は、常に 音楽を流している。
音楽さえあると 時間は幾らでも潰せるし 共にできる。
よく1人でいるときに「寂しい」と聞いたり、「寂しくない?」と訊かれるが
私は寂しくない。
音楽があれば充分であるし、これに読書をすると贅沢な時間を送れる。
「音楽は、生活を豊かにしてくれる」とは、誰が1番に言ったの?と感心するくらい そう感じます。
投稿準備をしている今も、アコースティックギターのイージーリスニング音楽を流している。
ちょっと作家になったような気分を音楽が作ってくれる。

先の投稿にあるが ピアノを幼稚園の頃習っていたが、遊びたい盛りで続かなかった経験がある。
社会人になってクラッシック音楽コンサートへ足を運ぶたびに、教室を辞めたことを後悔する気分が止まらなかった。
時間がない日々 期間も長くなり、そんな中 40代あたりから「定年・定年後」の文字が生活の中で出てきて 気になった。
また 昨今は、老後の生活。
周りの方々の生活を眺める。

どんな定年後・老後を送りたいか?

そんな時に、シチリア島の空港ピアノの光景が思い出される。
音楽のある生活、楽器を奏でる生活があったらいい、満足・幸せかもしれないと感じた。
空港・街角ピアノ内で独学で学びピアノを奏でる人を見て、ピアノをリベンジするかと考えていた。
先の投稿にあるが、交響楽団コンサートへ足を運ぶうちに気がついたのが、各楽団内に楽器種類別の小さなグループが出来ており、個々にコンサートが行われていること。
そこで思わぬ出会い?があった。

ヴァイオリンとチェロのコンサート。

大袈裟でなく、これが身体というか 心というか・・・自身の中にピタッとマッチしたのである。
「何だこりゃ?え〜 こんなに楽器がマッチするのは初めて♪ピアノと違う。
 こんな事があるの? う〜ん、弦楽器すごい!」
と感動しきり。

人の興味というものは面白いもので 興味を示したことには不思議とアンテナが張るせいか 身近になります。
弦楽器のことを様々に学ぶ機会が増えました。
しかし、ピアノとヴァイオリンは違います。
楽器そのものが・・・。

人生後半にヴィオリンを奏でるのはいいが・・・、果たして人生後半に 手にして・・・と。
楽器は、やはり ある程度の品質がないと音も違います。
価格がやはり出てきます。
趣味で 人生後半で 定年後・老後に果たして・・・と、半分 贅沢というか 演奏の云々でなく 如何なものか?手にするのは難しいかな?と。
縁があれば・・・と半分は 諦めていた。

そんな中 ふと、久しぶりに知人と会い話していると、そこにヴァイオリンがある。
驚いて尋ねた。
「もう 使っていないから処分されるもので、長く使っていないから 調整すると奏でることはできる。それ相当の交換や調整は必要になるけどね」というのである。
そこで経緯を話し、譲ってもらえないか相談すると、快く受けてくれた。
知人曰く「定年後 老後の趣味とするなら オススメだよ」と喜んでくれた。
古びており、どの程度まで調整・整備・交換が必要か不明だが、楽器・音楽のある生活ができるなら有難いと持ち帰った。

専門店で見てもらい、交換・調整の話をし お願いした。
そして、先の投稿のように 我が手に姿を変えて戻ってきた。

感動 大感動である。
作り手の手で 奏でて頂き、自身のヴァイオリンの音色を聴く。
ほんとに贅沢である。

調整されたヴァイオリン画像を譲ってくれた知人へ 感謝と感動を伝えた。
知人は、とても喜んでくれた。
定年後・老後の楽しみが 一つできた。
ここで一つ 未来が出来 とても楽しみである。

今晩も、ワイングラス片手に音楽を聴きつつ料理準備である♪

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