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私のフィンランド留学史【教育編】

11か月のフィンランド留学から帰国して早3か月。

この3か月の間に、日本はとにかく熱い灼熱の真夏から、小金色の夕日が美しく涼しげな空を飾る季節にまで変化した。

季節は確実に変化してゆくのに、フィンランドから帰ってきたばかりの私は、季節の変化にも素直に心躍らず、どうしたらよいのか戸惑ったまま、葛藤のうちにここまでやってきてしまった。

そうだ、久しぶりにnoteを書こう、と思い立ったのは、この3か月ずっと続いてきた葛藤がだんだん薄れてきて、もうすぐ自分の中で折り合いがつきそうになっていることに気付いたからだ。何だかよくわからないけど確かに心のど真ん中を占領していたもやもやも、その時感じていたやり場のない悲しさも苛立ちも、その時の私にとっては確実に本物だったけれど、過ぎ去ってしまえば思い出しもしなくなるのだろう。それでも、ちゃんと残しておきたい。自分にとって、フィンランドで過ごした11か月が与えた影響はとてもとても大きかった。大きすぎて、この3か月、どうあがいても言語化できなかったくらいだ。変わった自分をどう元の環境においてよいのかわからなくて、どう頑張っても完全な「日本人」には戻れなくて。これから日本で生きていく想像ができなかった。かと言ってフィンランドで関係を築いてきた懐かしい友人や教授から連絡が来ても、返信するのがただひたすら億劫に思えてしまった。
私は、自らのアイデンティティに、完全に迷ってしまったのだ。

それでもここ数日で、随分消化できてきた感覚がある。
今回から何回かに分けて、私のフィンランド留学を振り返って行きたいと思う。まずは、教育編から!

.フィンランドでの経験と変化(教育編)

カルチャーショック、というと、馴染んだ国や文化から全く異国の地に飛び込んだ時に起こる、というのが一般的かもしれない。だけど、私の場合は、帰国した時の方が何倍も大きかった。それには、私がフィンランドで経験したアイデンティティの変化が大きく関わっている。

フィンランドにいる時間が長くなると共に、私の「日本人」としてのアイデンティティもだんだん薄れていった。日本人というより、「地球人」といったほうがすとんと落ちる、という感覚が今はある。

私がフィンランドで出逢った人たちは、あまりにも人間だった。最初は、やっぱり違いばかりに目が行くから、「自分」と「彼ら」という線引きを無意識にしてしまうのだけれど、関わっていくうちに、徐々に「なんだ~、なんだかんだ言って同じ人間じゃん」っていうのがわかってくる。そうすると、日本人であるとか、フィンランド人であるとか、そういうのがどうでもよくなって、みんな「人間」であるというところに落ち着く。そんな感じで、私のナショナル・アイデンティティは徐々に消えていって、代わりに自分は「人間」で、日本人とかフィンランド人とか国民性というのは、その人の持つちょっとした特性・個性なのだと認識するようになった。

日本への帰属意識が薄れ、代わりに地球が私のホームだ、と感じるようになっていった過程には、私の留学のテーマであった「教育」をめぐっての一連の物語がある。今回は、それについて、ゆっくり振り返っていこうと思う。

留学開始直後の私は、バリバリ日本人としてのアツい志を持っていた。「日本の教育をよくするためにフィンランドで全力で学ぶのだ!」とにかく日本の教育を良くしたくて、そのためのヒントを得るために留学したいと思ったし、計画もその目的を達成するために立てていたから、私の視点はいつも「日本にどう生かせるか?」というところにあった。ヒントが得られそうなところには自分から積極的に突っ込んで行ったし、そうしているのが楽しかった。自分が確実に前に進んでいる気がして。

しかし、転機は意外と早く訪れる。留学開始から4か月も経たない頃だった。大学でフィンランドで教員を目指す学生と同じ授業を受け、付属の小学校に何度も授業見学に行き、保育園実習も半ばに入った頃。私はとあることに気が付いた。

日本よりも数倍先を行っているように思えていたフィンランド教育だけれど、それは目に見える部分に光が当たりすぎていたせい。フィンランドの教育現場に入り込み、その光にも目が慣れてくると、だんだんそれまで光が当たっていなかった日陰の部分も見えてくる。そこで私は、フィンランドの教育も日本の教育と同じように課題がたくさんあって、これから変わっていかなければならない部分がたくさんあるのだ、と悟った。「ああ、見え方が違うだけで、フィンランドも日本もほぼ同じところを歩いているのだな」と思ったら、急に私のフィンランド教育に対する熱意は萎んでいった。私の留学への志は留学開始後4か月でほぼきれいに消え去った。

ちゃんと断っておくと、私はフィンランド教育から日本が学べることはたくさんあると思っている。フィンランド教育は日本が今抱えている教育課題をうまく解決していると思うし、反対にフィンランドが抱えている教育課題を日本はうまくクリアしているところもあると思う。けれど、それはあくまでも目先のメソッドの相対的な話であって、もっと先、教育のビジョンというところになると、もう国と国との比較に答えはない。そして、私はその答えが知りたかった。だから、フィンランド教育をこれからどんなに学んでも、自分が知りたいところにはたどり着かないと思った。

”教育って一体どこに向かってるんだろう?”

それが、留学開始後4か月目に私が直面した、あまりにもシンプルな問いだった。そしてこれが

”人類って、これから先どこに向かっているんだろう?”

という問いに変わるのに、そう長い時間はかからなかった。教育が人を育てるものである限り、これがわからないと教育のビジョンもわかるわけがないからだ。その点、現時点では、どこの国の教育も、明確なビジョンを持っているよりかは、急激な世界の変化に必死に追いつこうとしているだけなように思えた。

グローバル化とともに多様性が認められるようになってきたけれど、でもその多様性の先には何があるのか。
個々の多様な生き方をただ肯定すること、個々の自由だからと干渉しないようにすることが、私たちの最終地点ではない。
多様性の先に、その多様性をまるごと包含して私たちに進むべき道を指し示してくれる、人類全体としてのゴールやビジョンがあるはずだ。(まさにUnity in diversity!)日本はあまりにも画一的だから、どうしてもとりあえず「一人ひとりを尊重する教育」そのものが目標になってしまいがちだけれど、一人ひとりを尊重するのは階段の踊り場にすぎなくて、最上階ではない。フィンランドでは、社会の中に個人主義がはびこりすぎて、逆に自分を大切にできなくなっている子どもたちがたくさんいた。個を尊重して、自由になることが、必ずしも人間を幸福にするとは限らないのだ。

そう考えると、多様な私たちを同じ方向に向かせてくれるのは、過去でも現在でもなく、「未来」だ。
国と国との教育の「今」を比較することも大事だけれど、それだけじゃ教育は前に進まない。それよりも大事なのは、「未来」を語ること。目先のスキルや「少し先の未来」から教育を考えるのではなく、もっとはるか先にある人類全体の望む未来から教育を考えること。国を越えて、その未来のために協働すること。

教育って、そのための土台を作るためのものじゃないか?

教育は、もはや「国」という単位に留まっていては前に進まないと思う。制度的には国ごとに違くても、国の中にある教育たちはその国の社会に留まるのではなく、世界を生きるフィールドとして想定していたい。だって、私たちの未来は、国境の中に留まらない。国境はどんどん薄くなっていって、やがて今の県境くらいになるんじゃないかなぁと私は思う。だったら、教育を考えるときだって、そんな「未来」から想像していかなければならないと思うのだ。けれど、今の教育は、依然として今ある目先の課題を解決することに必死になっている。それは決して日本だけではない。

目の前の課題を解決していくことももちろん大事。今この瞬間目の前にいる人たちに必死になれる人たちがいるからこそ、人類は長い年月を生きてここまで発展してこられたのだと思う。けれど、目の前の課題と、未来のビジョンは決して矛盾しない。人類全体の未来と、国としての未来と、地域の未来と、一人の子どもの未来は、全て繋がっている。だったら、一番大きく根本的な「人類」全体としての未来から、教育を考えていくべきなのではないだろうか。


そんなこんなで、私は「日本の教育」への興味は失った。今私が強く関心を抱くのは人類が誕生したときから私たちとともにあった、普遍的な「教育」そのものだ。もちろん、私が一番貢献できるのは日本という文脈の中での教育だから、実際にdoingレベルで深く関わっていけるのは日本の教育だと思う。けれど、beingの部分はいつも普遍的な人類の「教育」にある。私は「日本」のためではなく人類のために教育をしたいし、人類の向かっていく先をいつも考えていたい。国境はすでに私の中にはない。

そんな感じで、私の中の日本人としてのアイデンティティは薄くなった。代わりに、自分は「人類」なのだという意識があって、人類の中の一人として何ができるんだろう?と今は考えている。
ナショナル・アイデンティティが薄れた分、日本に帰国してから自分をどこに置くべきなのか、とても悩んだ。もはや私は人類だから別にどこにいてもいいのだけれど、だからこそ、どこにいても違う気がして、自分がどこにも所属できない人間になってしまったような気がした。

でもまぁ、まだ時間はあるから、ゆっくりじっくり、自分と社会との対話を繰り返しながら、自分の役割を担える場所を、探していきたいなぁ、と今は思っている。葛藤も楽しめるようになったのは成長かな。なんか悩んでいると、「あー、今自分人間してる!」とむしろ嬉しくなる(笑)


長くなってしまったが、私のフィンランド留学史【教育編】はこれにて終了。次回は、また違った視点でフィンランド留学を振り返って行きたい。
また長くなりそうだけれど、お付き合いいただけたら幸いです🌷読んでくださってありがとうございました!



2020.10.16

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