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初稿の連載小説「もっと遠くへ」3-5
3-4はこちら↓
https://note.com/fine_willet919/n/n898e43c0c3ec
自分の父に嘘までついて、僕は東京に出て来た。
大学で友人と呼べる人間など一人もいない。
時給千円で必死に働いて手にした給料も、その大半が家賃や光熱費で消えてしまう。そんな生活の中で何かを必死に見つける行為。
オセロの盤で角を全て黒に取られた状況から如何に白を残すか、いや、少しでも黒にならないよう必死に抗う行為、既に負けなどほとんど決まっているような、そんな局面でコマを置いていく。
黒がどれだけ強かろうが、そこだけは黒に変えることはもう出来ない、四方八方、黒に囲まれた一つの白いコマのように。
そういった場所を作り出す行為が、「喜劇的になりうるもの」なのではないのか、もしくは、一瞬だけ白に変えることができたコマを僕たちは喜劇と呼ぶのかも知れない。
白、黒、白、そしてまた黒、この繰り返しこそが生きるということなのかもしれないと、僕は感じた。
それから、季節は冬になり、東京の冬と言うものを始めて経験しました。
その年は大雪で、木造のボロアパートの室温は、外の気温とさほど差はなく、申し訳程度に打ち付けられた壁といった具合でしたので、暖房に、電気ストーブ、それから毛布を全身にくるんで、なんとか耐えられるといった具合でした。
これじゃあ、家という概念が根底から変わってしまう。路上で段ボールを敷いて生活する人の方が、家賃がない分、いくらか幸せなのではないか。毎月支払う四万五千円は、雨風を凌ぐ為にだけあるのか、もしくは、人間的な生活を送るための手数料にすぎないのではないかと思う。
そんな雪が玄関先に積もり、家を出れずに、一人アタフタとすることもあり、困った時には母親の知恵を拝借しようと電話を掛け、
「雪が積もって出られない、どうしよう」
と伝えるも、数年に一回降ることはあっても、積もることなどほとんどない田舎の知恵などあまりあてにならず、遠い親戚より近くの他人とはよく言ったもので、やはりこういった時に役に立つのは亮介でしたので、すぐに電話で相談すると、お湯を沸かして、郵便受けから外に流せと言われたので、その通りにして、なんとか家を出ることが出来ました。
積もった雪は二三日残り、徐々に消えていく姿を見ながら、僕の中の何かが一緒に消え失せてしまうような、そんな気がして、
「頼む消えないでくれ、まだ、消えないでくれ」
と、道路の脇に出来た小さな飛騨山脈を見ながら思うのでした。ちょうどその時期だったと思います。亮介はマルチ商法というものに手を出していました。
僕がその話を持ち掛けられるのは、もっと先の事なんですが、その時から、亮介は電車でサラリーマンを見掛ける度に、
「見て見ろ、あんな社会の駒になって、労働労働って人生おもんなさそうやん」
と、既に自分は違う世界に歩みを進めて、勝ち組の仲間入りを果たしているんだと言わんばかりに蔑み、批判するのでした。
亮介の様子が少し変わった事に気が付いてはいましたが、全てが間違っているとは僕も思いませんでした。
僕にもそういった節が少しはどこかにあると思うんです。誰もやっていないことを始める人間(つまり先駆者)は、世間から煙たがれるものです。それはこれまでの歴史が証明しています。
だから今はまだ理解されないかも知れない。だからこそ、始めるなら早い方がいい。(これもマルチ商法のやり口ですが)と言う理屈も分からないでもないんです。
***
誠に勝手ながら、
少しだけ連載をお休みさせて頂きます。
書いては出してを繰り返してきましたが
いま、書く手が止まり、物語がなかなか
進みません。申し訳ありませんが、
しばらくお待ちください。
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