方言(うちなーぐち)の思い出
もの心ついた時から
周りの大人たち(父母や祖父母たち)は方言で会話していた。
彼らは方言こそが普段の自然体の言葉で、標準語(大和口)はよそ行き言葉だった。
だから私自身は方言をほぼ完全に理解できるつもりだったのに、
祖父母らは、がんばって標準語をしゃ べろうとするので、片言で、しゃべりにくそうだった。
父母も子供らには努めて標準語で話すようにしていた。祖父母らよりは標準語に苦労する様子ではなかったが、多分、頭の中の思考の言葉は沖縄口だったと思う。
復帰後は
“本土に早く追いつく”
ことが目標の時代だったから、
標準語での子育てをがんばったのだろう。
おばー達も
「わったーは無学のはるんちゅー」(我々は無学の百姓さ)
と自分や沖縄の伝統文化を卑下し ていたように感じられた。
90年代以降に沖縄出身の歌手や女優などが全国的な人気を博し、一転して沖縄ブームとなり、沖縄の文化や伝統 とともに沖縄口も誇りの感情を伴って捉えられるようになったが、
自分らの若いころは洋酒が好まれてい たし、
泡盛を飲むお年寄りを
“時代おくれ“
とさえ考えていた。
父母は実の親にさえ沖縄口の敬語表現を使用した。
私自身も聞くことは完全にできる自信があるものの、敬語で話すことは流ちょうでないので、
”年⾧者に失礼のない方言は無理
と思い使用できなかった。
私の下の妹は聞くことも不十分で年寄りの会話があまり理解できなかった。
祖母たちの言葉どおりにしか受け取らなかった
自分の愚かさを今になって気づくけど 、
” もっと色々なことを教わりたかった" と思うが後の祭りです。
でも言葉は ”いきもの” だから、
今の沖縄で話される言葉も決して標準語ではなく、沖縄口の影響を強く受けてい る。
いわゆる
”うちなー大和口” 状態だ。
批判的な意見がある人もいるかもしれないけど、
沖縄口は同じ市内でも 5kmほどはなれた集落とは明らかに言葉が違うから、昔はかなり閉鎖的な社会 だったのだろう。
よって数百kmも隔てた離島などの人々とは沖縄口では意思疎通が困難だ。
宮古や八重山の方言は沖縄本島の人には外国語も同然です。
物事はトレードオフの関係だから失ったものがあれば・・・なのかもしれない。
以上 ご覧いただきありがとうございました。
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