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#008:歳を重ねる 1/2

たくさんの投稿の中から見つけてくださって、ありがとうございます。
さて、気づけば随分と大人になっておりました。
30歳になった時も40歳になった時もそう思いましたが、自分が想像していたほどには大人になれていないものです。
それでも傍目には立派な大人であり、役割としてもそれらしくいる必要があります。

年齢を重ねることへのそれぞれの想い

歳を重ねる毎に失うことばかりがクローズアップされたり、目につきやすいですが、歳を重ねて良かったことや楽になったこともあります。
同世代の知り合いの中には本気なのか冗談なのか分かりませんが、一般的に老いのせいだと言われがちな他人の言動(ちょっとした物忘れとか)、容姿の変化等を揶揄したり、冗談めかしつつも言われた相手からしたら決して楽しくもないようことを言ったりする人がいます。
元々、甘えなのか関係性や親しさを試すつもりなのか、相手にキツめの発言をするタイプの人だったりもするのですが、発言の裏を返せばその当人にもヒタヒタと忍び寄っている老い的な数々を受け入れられていないことがあるのかもしれません。

老いも長い目で見れば成長?

老いるに任せず、そこに抗いたい気持ちっていうのはありますけれども、生まれて以降人間はずっと老いているわけですよね。
若い頃はそれを「成長」と言いますが。
実際に今自分がいろいろな行動をするときに若い頃より楽になっていることも事実で、経験を重ねてきたからこそ得られている今の状況をありがたくも思っています。
起きていることは、やっぱり成長っぽいんだけど。

気づけば楽になっていた

いつからなのかはっきりしませんが、生きやすくなったなぁ、楽になったなぁと感じることが増えてきました。
それも徐々にというより、気づけば急にそうなっていたという感じです。
仕事であれば「こうすればよさそう」が自分のストックの中からいくつか選び出すようなこともできて、それを若いメンバーにアドバイスすることができたり。

「老人力」ふたたび

かなり前(調べたらもう20年も前でした!)の流行語・社会現象で「老人力」というものがありましたけれども、負け惜しみではなく本当についてくる力がある気がします。

赤瀬川さんのおっしゃるところは物忘れ等のマイナスイメージをプラスのイメージに変えるというだけの意味合いだったかもしれませんが、実際についてくる力もあるじゃないかと。
ご本人は「老人の力強さ」として使うことも誤用だとおっしゃっていたようなので本来の意図とはかなりずれそうですが、それでもなんともユーモラスな言葉であるし、人生100年時代の前向きな考え方の助けにもなり得そうです。

脱線→姨捨

唐突ですが、老人→おばあちゃんと連想して思い出した姨捨について。
先日旅行の道中で長野県にある姨捨(おばすて)SAに立ち寄りました。
これまでは通過するばかりで行ったのは初めてでしたが、高い場所にあるので夜であれば夜景が綺麗なようです。
いつか車中泊しに行きたいと考えているのでちょっとだけ下見です。
ここはあの「姨捨山伝説の里」です。
子供の頃に昔話として読んだ気がしますが、SA内にあった簡単な掲示を見て久しぶりにこのお話を思い出しました。
一応ハッピーエンドと言えなくもないですが、とても切ない話です。
まったくほのぼのしてないですが、おばあちゃんの知恵袋ですね。
ちなみに姨捨のあたりはスイッチバック式の電車が走っていたり、棚田も有名なようでなかなか魅力的な場所です。

現代における知恵のポジション

これまでの経験から蓄積された知恵は昔から重宝されてきました。
ただ今はライフハックとして世の中に情報が溢れてもいますし、昔ほど老人にそれを求めなくてもよくなっているのかも。
「リスキリング」も話題ですが、DXの波に飲み込まれて古びてしまうスキルとは別に残り続ける知恵があると思いたい。。。
経験の蓄積やそこから得られた知恵といったもの達の中にはテクノロジーの進化で代替されるものもありそうですが、それでも残るものは何なのか??

脳では何が起きているのか?

ここで話を脳へ。
人生の後半にどっぷりと入っている身としては勇気の出る話として「人生における脳のピークは50代!?」、「人間の脳の力は各年代別に得意不得意があるだけ!」を最近知りました。
続きはまた次回!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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