生乳の廃棄から生産調整を問題と断ずる

先日より「生産調整で酪農家が生産した生乳を廃棄せざるを得なくなっている」という話が取り沙汰されております。自分も過去に畜産関係の会社に勤めていたことがあり、生産調整を要求されることは身をもって理解しています。

基本的なことは過去に述べていますが、問題が解決せず進まない場合はこちらも繰り返し言わなければならないと感じました。とはいえ、流石に過去のものを丸写ししていては自分の気持ちの整理がつかないわけですが。

生産調整の目的は生産物の価格相場の維持のためです。生乳でも米でも、生産過剰となれば需要と供給の関係により、価格が落ちる市場原理からは逃れられません。価格が落ちれば生産者の利益も薄くなり、経営が圧迫されるのは理解できます。

食料でも原材料は「設備さえあれば一朝一夕に生産できる」タイプのものではありません。苗や子牛から何か月も掛けないと育たないものです。生産業者が経営苦により廃業となれば、いざ次に相場上昇となった時にすぐに対応させることができません。必然的に不作等による価格高騰にはほぼ無手とならざるを得ないのです。不公平さも感じさせられます。対策として事前に生産量をキープしておく必要があるというのもわからなくはないのですが。

が、やり方が減産、生産調整であることが問題です。しかも世界的に見れば人口爆発による食糧事情の困窮が進んでいっている中であり、輸出や場合によっては援助物資として提供先は困らない筈です。

協定により海外産の生乳を輸入している一方でという話もありますが、これに関しては供給元のキープというのもあり生命線を増やす意味を持ってくるので理解はできます。自分は輸出を強く推しており、これは同一の製品を片や輸入する一方で同時に輸出することは人が見れば珍妙な矛盾した話かもしれません。ですがそういう「一見すると珍妙な矛盾」にも見えるやり方が生命線の増強に繋がるため、これに関しては避けられないことだと思っています。

ですが輸出にせよ援助にせよ提供する選択肢を確保しようともしないのは、有り体に言ってしまえば救える命を救わない事にも繋がっているという糾弾をせざるを得ません。

そして何よりも低迷する自給率の向上にも繋がるという点を見逃してはいけません。食料自給率の算出は
(自給率)=(国内での生産量)÷(国内での消費量)
であり、国外で消費される食糧を生産した場合自給率が上がるというカラクリはもっと広く知られて欲しいところです。また国内での消費量が必要量を加味されていないため、仮に経済封鎖で外国産の食糧が入ってこなくなった場合餓死者に溢れようと自給率が100%に向かうカラクリもあります。

生産調整というやり方は「安易に流れている」の一言に尽きます。提供先の確保となれば既存の輸出国家との貿易摩擦も考えられますが、それこそが本来の政治・外交の役割のはずです。生産現場に上から要求するようなやり方は怠惰でしかありません。また生産を抑制する政策を長く続けていた結果、生産意欲の低下から耕作放棄地が増大することにも繋がっています。耕作放棄地の増大はもう一つこちらで語った無為な環境破壊でしかないメガソーラー乱造にも繋がっており害悪が更なる害悪を呼び込む負の連鎖に繋がっています。

日本の農産強化からの輸出増大は、救える命を救い、長く懸案となっている自給率を向上させ、日本でのメガソーラーという愚行を阻止するという多面的な利点が並んでいます。国の方向性をそちらに向けるため、農産関係の組織が正しい職務に目覚めることを願ってやみません。

なお、こういった生産過剰の作物を長期保存できるように加工できる技術開発も大事です。或いはこういった行き場を失っているものにどこぞの爆買いを誘導できればいいとも思います。ただ、技術開発に関してはいつ完成するかの確実な答えが出ないものでもあります。また仮に保存技術が向上しても出ていく先が無ければやはり廃棄となり根本解決には繋がらないでしょう。提供先の確保が一番間違いが無いと言えるでしょう。

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