太陽光発電は再生可能エネルギーにあらず

このタイトルだと「コロナはただの風邪!」論と近いものを感じる方もいるかもしれませんが。実際に「コロナはただの風邪!」論と同様の陰謀論であるかどうかは読んで判断していただけたらと思います。

東日本大震災前から太陽光発電についてはテレビ等で取り上げられていましたが、震災以降法案を整備しメガソーラーを作るなど推進が顕著になっています。

前回日本は農業を拡大させるべきだという持論を述べさせていただきました。それに対してメガソーラーは耕作放棄地を利用するものも多く、自分の意見とは対立する存在となっています。

太陽光発電はソーラーパネルに太陽光を当てることで発電するシステムで、発電中も温室効果ガスとして問題の二酸化炭素は発生しません。原子力発電も二酸化炭素は発生しませんが太陽光発電は重度の事故の懸念が無いと言われています。自分はそれらの通説にはっきり異論を持っています。

確かに発電中は燃料補給の必要がなく、簡単に電力は得られます。自分の実家は震災の時点でソーラーパネルを設置していたため、送電停止中も電気が使えるというのは助かりました。しかしこれには実は危険があり、パネルから発電された電気を送る先が無くてもパネルは太陽光さえ当たれば発電を続けます。結果行き場の無くなった電気は暴走を起こし、火災を引き起こすことにもなります。台風で壊れたメガソーラーのパネルが地面に転がったまま、台風一過の快晴で発電した結果火災が起きたという事例は実際に存在します。

ソーラーパネルと自然災害が絡んだ事例で最大のものは、自分は鬼怒川の堤防決壊だと思います。鬼怒川には元々「自然堤防」と言われる土手が存在していましたが、メガソーラーの敷設のためにその自然堤防を切り崩していました。その後の豪雨で鬼怒川周辺は大規模な洪水に襲われたわけですが、航空写真を見ると切り崩した部分が決壊しているのが一目瞭然です。テレビや新聞等のマスコミはあまり積極的には取り上げませんが、ネット上では各地で敷設されるメガソーラーに強い批判が集まっています。

メガソーラー敷設のために無計画な土地開発を行い、土砂崩れ等の災害が多発している事例の拡散と批判はネット上で非常に強いです。また、台風等で破壊され吹き飛んだパネルが転がっている写真等も拡散されています。著名なアルピニスト等、メガソーラー新設に反対する署名活動も散発的ながら行われています。中には「日本の弱体化を狙った外国勢力がメガソーラー開発を美名として売り込むことで災害による国土破壊を狙った行為だ」という意見も出ています。過激な意見であるとは思いますが、否定する要素が見つからないのが厳しいところです。原発事故も放射能等の問題が重大ではあると思いますが、太陽光発電の事故リスクも無視できない、原発同様重大な危険性を孕んだ発電方法だと 思います。

そもそも太陽光発電は日照時間の影響を受ける発電方法ですが、その肝心の昼が長い季節は、日本では「梅雨」と重なり日照が弱くなってしまいます。それでなかったとしても安定供給が難しく「産業に向けた発電には使えない」というのがネット上での大勢による評価です。この上に先述の台風も考えると、メガソーラーは日本との相性は非常に悪いと考えるべきだと思います。

では温室効果ガス等の「環境」についてはどうでしょうか。これも自分は「悪い」と断言した上で「誰もが悪い部分をわかった上でその部分から目を背けている」と考えています。

どこかの大企業の社長が太陽光発電に着目した「太陽は無限だ」の言葉があります。しかし太陽光発電は太陽光だけでなくソーラーパネルも必要となります。そのソーラーパネルが無限かと考えた上での言葉でしょうか。ソーラーパネルも製造にあたって石油を燃やしたり廃棄物を出したりするのは他の工業製品同様間違いないことです。この時に燃やした石油で直接火力発電をするのと寿命までの太陽光発電をするのと、どちらの効率がいいのかということです。確かにパネルを敷設した現場での二酸化炭素排出量はゼロですが、結局パネル工場で排出しているから結果は変わりません。

それでもメガソーラー敷設を進めるために頑なに「太陽光発電は環境にいい」と繰り返す人には「じゃあメガソーラーじゃなくてパネル工場を誘致したら」と提案します。こういう人は大抵工場誘致を提案すると例えば「産業廃棄物が心配だ」と反対してきます。先述の石油を燃やすことにしてもそうですが、環境に悪いことを生産工場等の地域に押し付けているのは間違いのない事実です。そしてそれこそが「産業」だと思っています。他の地域が受け入れるのを嫌がることを受け入れ、それで価値を為したことの対価として得るのが「経済」であるのは間違いないことのはずです。リスクや負担等の「嫌がること」を野放図に受け入れるのではなく、自分たちの地域の特性を知り同じリスクや負担でもより安全性が高いより負担が軽いものを選んで受け入れていくことが産業と経済を考える上では絶対に必要なことだと思います。それに対し各地でこぞって行われるメガソーラー敷設は、まさにその「野放図」の極みだと思っています。

現在とある問題で大注目の東京都、都知事は「全ての民家の屋根の上に太陽光パネルを設置する」と息巻いています。それに対して「ウイグル人の強制労働で作られたパネルを使うことになり、虐殺に加担することになる」という批判が集まっています。これも被害者が多く声を上げているので、推定無罪だけでは片付かない問題でもあります。ただ、自分としてはそれ以前に環境や利益を考えた時点で却下するべきだと考えています。

勿論太陽光発電も悪い部分だけではないと思います。パネルさえ用意すれば電気を得られる簡易性・利便性は他の発電方法の追随を許さない能力だと思います。そうであればこそ長所と短所をしっかりと捉え、必要のある場所でのみ危険が起こらないように警戒しながら使うべきだと考えます。

自分も今書けるものを書くに限られている身、不勉強があるかも知れません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

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