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死にたい娘と両親

物騒なタイトルだけれど、私と両親の関係を少し。

多分、仲良し家族だと思う。
犬も飼っていて、家族のグループラインもあって写真を送り合っている。
両親とは離れて暮らしているけど、3ヶ月に1回は会っているし、旅行に一緒に行くことも2年1回くらいはあると思う。

でも、私の性格的なものなのか、昔から甘えることが苦手だった。
本当は甘えたかったけれど、すぐに妹ができたこともあるし、強がっていたのかもしれない。
母は私に「あんたは、知らぬ間に大人だった。」と言っていた。
進路も就職も、恋愛も悩みも何か共有したことがあっただろうか。なぜか言えなかったし、言わなくてもいいと思っていた。
プライドもあったのかもしれない。

なので家族の中では、無口だし感情表現をしない子供だと認識されていたみたいだ。

そして、私は母とは正反対の性格をしている。
彼女はアクティブで運動が好きで、ポジティブで綺麗好き。頭を使うより行動がでるタイプ。言葉が強くて冷たい。
背が高くて、体が強くて、たくさん食べて、努力家。興味のないことには一切見向きもしない。
全て正反対だ。
似ているのは「キングダム」が好きなことくらい。

顔は同じなのに、考えが分からない。
いつも私がとる選択肢とは、別のものを選んでいた。
だから、母の選択から外れないように、あまり、自己主張をしなかったのかもしれない。
「私の言うことは聞かないのね」と言われることが悲しかった。


父は趣味が多くて、凝り性で、収集癖があって、いつも何かに熱中していた。
キャンプにインスタにアイドルにゲームにバイクに漫画。
まるで、ずっと中学生のような彼から説教されたことは一度もないし、真剣な話なんてしたことない。
褒められたことも、、、特にないかもしれない。
似てるところは、大雑把なところだろうか。


大人になってからは、血は繋がっていても相性はあるよな。と思うようになっていて、ますます2人には何も言わなくなっていた。

妹は、よく実家に帰って、休みを満喫しているようだったが、1度実家を離れた私には、家族の中にいることはリラックスとは程遠い場所だった。
自分が家族の中で、1人だけ性格が合わないのを思い知らされて息が詰まった。


そして「地元に帰る」と連絡をした時は、「わざわざ家に寄らなくていいよ。」と毎回言われるのがお決まりだった。
なぜかというと、うちは本当に貧乏だった。
生活費に結婚指輪を売るくらい、貧乏だった。新品の服なんか着たことなかった。
子供が独立して、ゆとりが出た2人は、土日は欠かさずデートに趣味に人生を謳歌していて娘に構ってる暇はないようだった。
ただ、それは良いことだと思っていたし、朝から晩まで働いて育ててくれた分、2人で楽しんでいることは嬉しい。
が、毎回断られるので、そのうち帰るのも面倒になっていった。


そんな中、娘は知らぬ間にどんどん病んでいく。
嫌な考えが一日中、頭の中を駆け巡って、眠れなくて、仕事をしていても、集中ができない。自分が生きてはいけない理由を数える日々。

けれど、そんな話なんてしたことないし、いつ会っても私は暗いし気づかなかったと思う。

それが、なんのきっかけだったのか、
自分が本格的に変になってから、半年くらいは経った頃だろうか。

同居している妹が、私の様子告げ口したのか、私の言動が不審だったのか。突然父から、LINEが入った。

「実家帰ってこないのか?」

そんなことを言われたのは人生初である。

「帰る予定ないよ」

「帰ってこい」

「運転めんどいから、いいや」

「迎えに行く。」

嫌な予感がする。
迎えに行くなんて、実家にいた時も言われたことあっただろうか。

そして、その日、母から

「りお。生きてる?大丈夫?最近、体調どう?」

とLINEが来た。
私が体調を崩すのはしょっちゅうのことだが、このタイミングはおかしすぎるし、いつも冷たい文章ばかりなのに、急にこんな文章がきた。

母は自分の兄を自死で亡くしているので、私が死ぬ夢でも見たのだろうか、なんて考えた。
「ふつーです。」

といつも通り返信した。

そして、その週、吹雪の中、本当に2人で迎えに来た。
母は次の日、水泳の大会があるから、迎えには行けないと言っていたのに。

2人が現れたとき、本当に憂鬱な気分になった。
何か問い詰められるのだろうか。


でも、土日は何事もなく過ぎていった。
こんなに平和なことがあるんだろうかと考えるくらい。

父に「最近も寝辛いのか?」と言われて
「まぁ、そうだね。」と答えただけ(寝辛いのは昔からで、よく心配してくれていた。)

そして、「俺ら2人のポジティブじゃなくて、お義兄ちゃんと祖父の繊細な遺伝を引いちゃったんだなー」と言っていた。

そして、また、日曜の夜に送ってもらった。
その時に
「来週の土日、妹が実家に来るから、一緒に来なさい」
と言われた。

「んー、やめとこっかな。」

「予定ないんでしょ?」

「や、せっかくの休み、妹がリラックスできないと思うから、やめとく」

「いいから来なさい。」

こんなに強く物事を言われたのは、人生で初めてだった。
結局断りきれず、次の週も実家に帰った。

そして、また本当に平和に過ごした。優しすぎるくらいだ。
みんなでランチバイキングに行って、私に行きたいところある?と聞いてきた。
絶対、文句を言われるだろうな。と思いつつ、神社に行きたい。と言ったら連れて行ってくれた。
妹リクエストのペットショップにもクレープ屋にも行った。

そして、日曜の夜。帰宅の時間になった。
妹が運転するので、私は助手席に黙って座っていた。

いつも通り、妹と両親は
「つぎ、何日に帰るね」

「気をつけてね」

と忙しなく会話を交わしている。
わたしは黙って座っていた。

妹が「バイバーイ!」と言って車を動かした。

車が動き出して、妹が窓を閉める。その刹那
母が
「りお!じゃあね!!!!」
と叫んだ。

正確には車は動いていたから、名前を叫ばれたのだけ鮮明に聞こえた。
すごく大きな声で、近所に聞こえるんじゃないかって声で
たぶん「じゃあね!」と言っていた。私だけの名前を呼んで叫んでいた。

わたしはその時、母は知っていると思った。
私が死にたいと願ってること。
苦しいこと。

なんで分かったかなんてわからない。
挙動か言動か、違和感があったのだろう。

そして、私は母が知っていることを悟って
「許された」「死ぬことを許された」
と思ってしまった。
「楽になっても良いんだ」
と思ってしまった。

どんなに考えが違っていても、母は母なのだ。
どうして、そんな思考回路になったのはわからないけど、私のことを知っている。理解している。
そして、知っているのであれば、死んだって許してもらえるはず。

そう思ってしまった。
妹の運転する車から、少し雪がちらつく外をずっと見ていた。

今の私を誰かに写真に撮ってもらって、母に一番、綺麗な遺影をあげようか。
そんなことを考えていた。


こんな出来事があったけれど、結局、私は生きている。
少しずつ、自分を大切にすることを学びつつある。
まだ、自分のしたいことを明確にすることも、生きたいって心底思うこともできていないけれど、
少し自分を甘やかして、少しずつ目標を決めて、必死こいて生きている。生き辛い自分をいつか肯定してあげたいとまで思えるようになった。
自分の生きていてはダメな理由を数えることも無くなった。

恥ずかしいけれど、今まで自分のことで精一杯で、母の愛を感じれることが少なかった。
でも、この日のあの言葉が何よりも嬉しかった。
この記憶を残しておくために長い文章を書いてしまった。
「許された」と思っていることは、今も変わらないけれど、それはいつかに取っておこう。

なんかまとまっていないな。
今まで書いた文章の中で1番、駄文だ。
また、自信をなくしてしまうな。








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