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『サイバー・ジェロントロジー』 6

大学を卒業したXは、ついにMU構想の社会実装に向けて大きな一歩を踏み出すことになった。

大学時代から取り組んできたMUプロジェクトの成果を基に、Xは仲間たちとスタートアップ企業の設立を決意する。メタバース上に理想の仮想社会を創造し、人間の意識や人格そのものをデジタル化してMUに移植する。それが彼らの最終目標だった。

起業に向けて、Xは思い切った行動に出た。プロジェクトの中核を担ってきた有能な仲間10人を引き連れ、スタートアップ企業「メタリアリティ」を立ち上げたのである。

「メタリアリティという社名は、メタバースとリアリティを合わせた造語です。私たちは新たなリアルを仮想世界に作り上げることを目指しています」

Xはそう語り、MUプロジェクトの意義と目的を改めて説明した。これまでの研究成果を土台に、スタートアップ企業として本格的な事業化を目指す。そのビジョンを力強く示した。

しかし、スタートアップの道のりは決して平坦ではなかった。何よりも深刻だったのが資金の問題だ。MUの構築には多額の投資が必要不可欠で、自己資金などでは到底足りるはずもなかった。

そこでXは、ベンチャーキャピタル(VC)の投資家に積極的に働きかけていく。彼らの出資を得ることが、MUプロジェクトの実現に向けた鍵を握っていた。

「私たちメタリアリティは、バーチャル空間における新たな生活インフラを構築します。認知科学とAI技術を融合させ、人間の意識と人格をメタバース空間へと具現化する。高齢者の方々に、第二の人生の場を提供するのが目的です」

Xはそう訴え、投資家たちに次のように語りかけた。

「スーパーコンピューターと最新のディープラーニングAIを組み合わせて、膨大な個人データからひとりひとりの人格と意識を再構築します。その上で高度なVRインターフェースによって、バーチャル空間へと移植していく。理想の景色、理想の生活環境を提供することで、人々に新たな居場所と生きがいを与えられるのです」

これまでの大学での研究成果を示しながら、Xは情熱を持って語り続けた。あくなき挑戦心と強い企業家精神、そしてカリスマ性が、投資家たちを惹きつける。メタリアリティの起業プランは、徐々に高い評価を受けるようになっていった。

しかし同時に、懸念の声も上がった。それは、このメタバース空間を誰が所有し管理するのか、という根本的な問題だった。

「MUの開発に多額の投資が行われるとすれば、それはつまり営利企業が所有し管理することになるのでは? 人々の意識や人格データまでもが、一企業の支配下に置かれかねません」

確かに、メタリアリティという企業体が資金を集めてMUを開発すれば、その運営権を手中に収めることになる。つまり、莫大な資金力と人格データを武器に、人々の意識までもが私企業の管理下に置かれてしまう危険性があった。

Xはすぐさまこの指摘に真摯な姿勢で答えた。

「MUの根本理念は、公平・公正な理想郷の創造にあります。企業が一方的に管理・支配をするようなことは絶対にありません」

「むしろ、MUはその運営を中立的な第三者機関に委ねる予定です。日本政府や自治体と協力し、公正な管理体制を整備していく考えです」

企業の営利目的だけでなく、社会への貢献を重視する姿勢を示した。ガバナンス確立の重要性を強調し、公平性と透明性の高い運営を目指す方針を示した。

「一例として、個人データの取り扱いについては、世界的な倫理基準を徹底して遵守します。個人を特定できるプライバシーデータは一切扱いません」

「MUへの移植は、あくまでデータ本人の自発的な同意が前提となります。無理矢理移植されることはあり得ません」

VCの質問や懸念に丁寧に答えながら、Xはメタリアリティの将来ビジョンをさらに語り続けた。

「MUは最初は高齢者の方々に焦点を当てた事業から始めますが、将来的には一般の人々にも開放される予定です。現実世界に制約された生活をおくれない方々にも、仮想空間で自由な活動ができる機会を提供します」

"第二の人生"をコンセプトに、高齢者から一般人まで幅広い層をターゲットとしていく構想を示した。現実世界の制約から解放された自由な活動が、MU上で可能になると説明する。

「さらに長期的には、仮想空間での教育機会の提供、遠隔医療サポート、バーチャルオフィスの実現などを目指しています。メタバース空間は社会インフラとして、多様な利活用が期待できるでしょう」

こうしてXは、単なる娯楽空間にとどまらず、MUが教育、医療、ビジネスなど様々な分野で活用できる社会インフラになり得ることを訴えた。徐々にVCの理解と支持を得られるようになっていった。

一方で、未解決の課題も存在した。それが、いかにしてディープラーニングによる人格データの再現と移植を実現するかという技術的な問題であった。

「私たちは大学時代から、脳波やライフログデータ、記憶データなどを収集し続けてきました。またAIによる高度な人格モデリングの研究も行なってきました」

Xはそう前置きした上で、以下のように続けた。

「しかし、完全な人格の再現と仮想空間への自然な移植という点では、未だ課題が残されています。人工知能にヒトの意識や感情までをモデリング化できるかどうかという、極めて難しい問題に直面しています」

人格や記憶のデータベース化と、それらを人工知能が学習してモデル化する技術は確立されつつあった。しかし意識や感情、本当の"生きた人格"までを完全に再現するのは簡単ではない。スーパーコンピューターとディープラーニングの力を結集してもなお、克服が難しい最後の一歩が控えていた。

「私たちは現在エッジAIの活用に着手しています。スーパーコンピューターにクラウドAIを加え、さらにエッジデバイス上で高速な深層学習を実行することで、感性までもカバーできるAIの開発に取り組んでいます」

Xはメタリアリティの最新の取り組みを説明した。従来のAIを凌駕する性能を持つエッジAIの開発に全力を注ぐと宣言し、VCの前で技術的な自信を示した。

「一点、誤解のないようにお伝えしておきます。MUへの移植にあたっては、データ本人の自発的な同意が不可欠です。同意なき移植は一切行ないません」

VCの中に一部残るプライバシー面での懸念に対し、Xは改めてデータ保護の重要性を強調した。プライバシー保護の姿勢を改めて示すことで、倫理面での安心感を与えようとした。

「完全な移植技術の確立には未だ時間を要しますが、メタリアリティには着実にその目処が立ちつつあります。人工知能とデータの可能性はまだ未知の領域が多く残されています。しかし私たちメタリアリティは、新たなフロンティアに挑戦し続けていく所存です」

Xは最後に意気込みを語り、プレゼンテーションを終えた。VCの評価はおおむね良好で、多くの投資家からメタリアリティへの出資の内諾を得ることができた。

メタリアリティは、ついに本格的な資金調達に成功したのである。MU構想の実現に向けた第一歩が、ここから始まることになる。

しかし同時に、プロジェクトが直面する技術的・倫理的課題の深刻さも明らかになった。Xとメタリアリティのチームには、更なる努力と挑戦が待ち受けていた。

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