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久しぶりに大学へ行ったとさ

学費が勿体無い!(切実)

大学生活、それは文系では「人生の夏休み」とまで揶揄され、理系との忙しさの格差をヒソヒソと囁かれていたりする。それを自虐ネタとして酒を呑んだりするのだが、まぁいい思い出だよ。

実際、僕の場合あながち間違えではないのかもしれない。

惰眠の話でもお話したが、1年と2年はコロナ禍の中でほとんど家で授業を受け、本来構築するべき人間関係、得るべき経験、懐かしむべき友情を失った。(まぁ浪人してるしそれはそれでヨシ!)

3年になって対面の授業がちらほら戻ってきたが、オンラインの手軽さと対面の登校の面倒臭さを考えてオンラインの授業ばかりを履修し、大学へ行く日も週に2回、多くて3回と言ったところだった。

4年生に進級し、単位の取得完了や就職活動と言った理由から大学に登校することをやめていた。

ゼミはあったが放任で自分の好きにやらせてくれる教授であった為に非常に助かった。

個人的にも学校へ登校し、友人の就職事情を聞くたびに憎く、辛く、就職活動を妥協してしまう恐れがあったので、大学へ行かないことの一つの理由としていた。

就職活動も終わり、夏休みも明けた。大学生活最後の秋学期のスタートである。
そんなスタートも月見バーガーを口実にサボった。(実際は足の痛みや疲れもあった。)

そして今日、2週目に登校したのである。

久しぶりのサークル。
久しぶりの食堂。
久しぶりのゼミ。
久しぶりの放課後の寄り道。

その全てが愛おしく感じ、もうこれがあと半年しか無いと考えると何か虚しい様な気もする。

サークルへ行けば友人がいて。
食堂へ行けばうまくもない、そこそこの飯が食えて。
ゼミへ行けば、後輩が仲良くグループワークを行い、同学年が卒論に頭を捻っている。
全て終われば、ゲーセンで遊び、飲み屋で酒を飲んで帰宅ラッシュをズラして帰路へ向かう。
お前、書くことないって言ってゼミ途中で帰ったよな?)

社会人になればこんな日常は送れないかもしれない……

多少出鼻は挫かれたがやりたいことをやりたい様にやらせてもらった「人生の夏休み」だった。
(なんか締めくくってるけどまだ続いてるし、卒業も確定していない。)

あと半年、学校へ登校する日にちはゼミだけとなってしまい週に1日だろうけど、時間が空いていた時には登校して、大学生活を満喫しているを実感したいものである。


~おまけ~

人生の夏休み」とはよく言ったものだが、自分の中で大学生活とは学問に囚われないものと考えている。(もちろん学ぶ為に大学へ通っているのだがネ)

例えば、サークルに加入して多くの人間関係を構築する。
例えば、アルバイトに精を出して、お店に貢献する。
例えば、趣味に白熱し、より狭く深く他人の及ばないところまで知識や経験を積む。
例えば、インターンに参加して、将来強くてニューゲームを行うための経験値を稼ぐ。

周りからは遊んでいると思われようが、自分らにとってはかけがえのないキラメキなのである。

その「人生の夏休み」が人間性として生きてくる。(実際就活でこれめっちゃ重要になってくる。)

だから、虚無になって「何もしなかった」っていう考えはせずにその行動、経験一つ一つに価値をつけてあげて欲しい。


合わせて読むともっとわかる。





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