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やっぱり奇跡だった

2024年8月27日、私は台風10号についてのニュースを見ていた。

実家から離れた場所に住んでいるという心細さもあり、
今回の台風に向けての準備は今後の災害にも備えることができると
早々にスーパーやドラッグストアに行っては
SNSで調べた情報をもとに必要なものを購入していた。

私が広島で初めて一人暮らしをすることになったときに
母が購入してくれた防災バッグを東京にも持ってきており、
私を安心させてくれた。
購入が数年前ということもあり、改めて中身の確認をし
新調が必要なもの、新たに得た情報から入れておくと便利なものを
入れなおした。


情報は常に知っておこうと
父が買ってくれた普段見ないテレビをつけた。
普段、テレビのコンセントを抜いている
徹底したテレビを見ない生活の人間がである。


テレビを見ないのは必要な情報が遠回りで着地点のないまま
いろんな人の意見や感情が何度も何日も繰り返されていくから。
この時間っていったい何だろうと思うのがしんどいから。

私がテレビをつけるのは目的がある時だけ。
ただ何となくテレビをつけていたのは実家にいる時だけだ。



そんな私がなぜかスマホからではなく
ふとテレビを見て台風情報を得ようと思った。
無意識にテレビをつけようと思ったのは
帰省から戻って日が浅いからだとも思ったけど、つけた。

案の定、台風の最新情報が流れたのは一瞬で
すぐに過去の台風映像に切り替わり、2018年のものまで
さかのぼっていった。

もういいや、切ろうと思った瞬間見えたのは
2018年9月4日、台風21号が関西に上陸した際の
暴風で流されたタンカーが関西国際空港の連絡橋に衝突した
映像が流れた。

―― 私これすごく覚えている。

オーストラリアでのワーキングホリデーについてnoteで
振り返り始めた今この映像を”見せられた”と感じた。

―― どうして覚えていることを今思い出したんだろう。
   今まで忘れていたのだろう。

広島での豪雨災害であきらめなければいけなかったことが
あきらめずにすむ、と喜んでいた矢先のできごとだったんだ。

私は確かにもう一度もうだめだと思ったんだ。

関西空港から出発を予定していた。
今考えれば成田空港からでも行けるのに、
自分が出発する空港がピンポイントで事故が起こり
もう行くなということかなと落ち込むには十分な要素だった。

当時の自分が度重なる現象に一つひとつ丁寧に落ち込み、
関連付けて自分にはもう何もないと傷ついていたことが本当によくわかる。
それほどまでに今まで経験したことのない出来事を一気に経験した私は
追い込まれていたのもわかった。


この時の私は、縁だとかこういうことが目の前に起こったから
こうなんだという関連付けに縛られていたんだと思う。
それはとてもしんどくて、いつまでたっても抜け出せないものだった。

そんな中でも救いはRinさんの「いってらっしゃい」を言われた
カウンセリングで、「私は絶対に幸せになる」を信じなきゃと思えた。




関西国際空港は異例の早期復旧をし、
空港閉鎖から3日後にの7日には再開。
9月21日にはほぼすべての旅客便の運航が再開した。


私は予定していた10月頭の日程でオーストラリアへ無事
渡豪することができた。

どれだけの人が復旧のために動いたのだろうと思うと
本当に感謝でしかない。
完全復旧にどれだけの時間がかかるかわからないと当時言われていた中での異例の早期復旧は私の背中を押してくれた。

そんな関西国際空港から発つということに本当に意義があった。







やっぱり奇跡だった。










SNSから
・2Lのペットボトルに水を入れて凍らせておくと
 停電時に冷蔵庫を冷やしてくれたり、溶けたあとにも
 使えることを知ることができた。

・ジップロックに水を入れて冷凍庫にストックしておくと
 便利になることも知れた。

・ツナ缶とお茶漬けのもとでできるパスタがあると知った

・袋ラーメンは水でも作れるアウトドアの知恵が生きることも、

簡単に日常になじませることができることが多いことを知った。
それはとても素晴らしいことだと感じた。
できることは近くにある。

今の日本で生きていく身につけておくべき知識だ。


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