申智埜翁(Xin chào)  

文芸批評や旅エッセイ、美術、哲学の話題を少しずつ少しずつ投稿していきたいと思っておりま…

申智埜翁(Xin chào)  

文芸批評や旅エッセイ、美術、哲学の話題を少しずつ少しずつ投稿していきたいと思っております。

最近の記事

ボルヘス『詩という仕事』に寄せて

 ボルヘスにとっては言葉が存在し、その言葉によって詩を織り上げられるという事実こそが悦びであり、そのことが本書では、「生涯でもっとも重要」なことでありあらゆる生活上の実際の経験に勝るとさえも賞揚されている。こうした彼の思想は幸いなことではないか。言葉は、詩は、現実の経験と違い誰に対しても開かれているということだからだ。   言語が表そうとする「物そのもの」であるとか形而上学で想定されたありのままのイデアなど存在しないがそれでも我々が「イデア」という観念にことよせる心情はいか

    • ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」について

       ベンヤミンは資本主義生産様式がプロレタリアート搾取に向かう中、上部構造である芸術における変革を本稿で描き出す。 写真やトーキーといった複製技術が1900年を画期として、芸術作品に深刻な変化を起こしたという。 元来、芸術作品は「いま・ここ」という一回性によって特徴づけられてきたが大量生産された複製にはこの一回性がない。  手製の複製ならオリジナルの真正性は権威を保つが、複製技術による場合より自立性がある。例えば高速度撮影のように肉眼でとらえられない像を切り取ることもでき、さ

      • 沢山実果子『性から読む江戸時代―生活の現場から』に見る江戸時代の性愛観

        沢山実果子『性から読む江戸時代―生活の現場から』は江戸時代の男と女の生活の場における細部に目を向け、性への意識、生への希望、不安といった直接的には語られることのきわめて少ないリアリティのある声に迫っている。  まず、俳人、小林一茶が『七番日記』で丹念に記録した妻、菊の月経、二人の交合、強壮剤の採取・摂取、妊娠についてつぶさにみてゆき、この記録が俳諧の指導で旅に出ることの多い一茶が妻の懐胎した子供が自分の子供なのかを確かめる意味を読み取る。そこには五十二歳にして妻を娶った一茶

        • 亡き人を想う  酒井抱一の紡ぐ文化ネットワーク

           酒井抱一の《夏秋草図屏風》は 二曲一双の屏風絵である。 いずれも銀地に、右隻には 驟雨に打たれてしな垂れる夏草、左隻には強風にたなびく秋草が描かれている。 それぞれをよりつぶさに見てみると、右隻では、画面右上方には一筋の水流が描きこまれている。水流といっても子細に特徴を描きこまれた植物とは対照的に、あくまで意匠的に様式化された文様に近い描かれ方である。幾たびか蛇行し進む水の流れは、濃淡のない群青色に染め抜かれていて水紋もこれはまた退色してしまっているものの銀の線で描かれてい

        ボルヘス『詩という仕事』に寄せて

          誰かの幸福を祈る ブータンの旅で得たこと

           九月だというのに夕刻のブータンはすでに肌寒く上着を持たなかったことを後悔していた。  ガイドのソナムの案内で料理屋に入った。狭い店内に客はなく中央のテーブルに通された。既にテーブルには二人分の食器類が並んでいた。二人分ということが私の注意を引いてソナムを見る。今晩は一緒に食べるよ、という。これまで彼は私と離れた席で馴染みの同国人の輪の中で食事を済ませていた。入店前に「運転手と三人でナイトクラブに行かないか」と話していたことを考え合わせるとこの食卓はもう彼にとってオフの時間な

          誰かの幸福を祈る ブータンの旅で得たこと

          『仮面の告白』と仮面の三島由紀夫

           三島由紀夫の『仮面の告白』は、作家本人をモデルとして想起させる「私」の幼少期の記憶をたどるところから物語は始まる。糞尿汲取人の若者にはじまり、行進する兵士たちに性的な快感に結びつくことなく、その職業の悲劇性、その死に官能的欲求を目覚めさせ、と同時に女奇術師に自らを擬する扮装欲の芽生えを経て、おとぎ話の「殺される王子」、聖セバスチャンの殉教図などに自己を投影してマゾヒスティックな空想の中で欲情するのだった。 中学に進学した「私」は同級生である粗放で精悍な近江に魅かれ、肉欲を覚

          『仮面の告白』と仮面の三島由紀夫

          ミニアチュールの中の安逸 プラハの街で澁澤龍彦「胡桃の中の世界」を考える

          プラハのストラホフ修道院に入ると、世界でもっとも美しい図書館とも称される神学の間、哲学の間ばかりに注目が向かいがちではあるが、それほど広くもない廊下を所狭しと埋め尽くす陳列棚にくぎ付になった。  澁澤龍彦好みの空間だなと思った。  後になってわかったのだが、澁澤もこの修道院のコレクションを見て、同じ神聖ローマ帝国統治下のプラハにあったというルドルフ二世が作らせた驚異の部屋のひな型だと、ヨーロッパ滞在時の覚書に記している。  驚異の部屋とは、権力者らがその博物趣味の求めるに任

          ミニアチュールの中の安逸 プラハの街で澁澤龍彦「胡桃の中の世界」を考える