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沢山実果子『性から読む江戸時代―生活の現場から』に見る江戸時代の性愛観

 沢山実果子『性から読む江戸時代―生活の現場から』は江戸時代の男と女の生活の場における細部に目を向け、性への意識、生への希望、不安といった直接的には語られることのきわめて少ないリアリティのある声に迫っている。
 まず、俳人、小林一茶が『七番日記』で丹念に記録した妻、菊の月経、二人の交合、強壮剤の採取・摂取、妊娠についてつぶさにみてゆき、この記録が俳諧の指導で旅に出ることの多い一茶が妻の懐胎した子供が自分の子供なのかを確かめる意味を読み取る。そこには五十二歳にして妻を娶った一茶の子宝を求める思いがある。しかし、長男、長女、次男も一年未満あるいは一年を過ぎたころに早逝しており、そこには死産も含め、赤子の高い致死率がある。

小林一茶

その背景には家の存続という社会的要請もありつつ、当時の交合を避けるべきとされる忌日も怖れ、その一方で父の一周忌の交合や当時胎児に障るとされた妊娠中の交合も記録されるなど、家の存続や迷信からも離れた快楽の追求も見られる。
 また、文化二(一八〇五)年に米沢藩領の寒村で起きた善次郎ときや夫婦の間に起きた、子は夫の子か不義の子かという紛争を取り上げる。ことは藩の裁定まで下される。

『歌川国芳「三定例之内 婚礼之図」』

ことは当時の一般家庭の問題にとどまらず藩による人口増加のための妊娠・出産管理政策が家庭内の性の在り方にも介入しているがゆえに村にとどまらず藩の審尋に至るのである。
 出産を奨励するために、性は家を繁栄させるための営みとしてあり後章で語られる快楽のための遊女、や飯盛り女、今でいう自由恋愛が峻厳に区別され江戸前期の『女重宝記』には「妻ハ婿を好むべからず」とあり、女性に求められたのは生殖能力と農業労働力であった。

喜多川歌麿『深川の雪』

また、江戸時代の幕藩体制に引き続いて近代明治政府もまた、はじめに産婆による堕胎、堕胎薬の販売禁止を真っ先に発令した。
 思うに、こうした体制による人口管理は、ミッシェル・フーコーのいう「生命政治(ビオポリティーク)」そのものではなかろうか。
 国家による健康な身体の管理としての人口管理であり、それは今日の性をめぐる問題が江戸時代からの連続性の中で語られるべきものではないだろうか。
 幕藩体制が宗門人別帳をベースに家族を統治の末端機構として取り込んだように戸籍制度が制定され、そうであるがゆえに夫婦別姓や同性による結婚などことさらに既存の家族イメージという幻想の解体に働く状況にはある一定数の根強い反感があるのではないか。


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