本当に求めているものが得られた時、他にも求めていたはずのものがそんなに欲しくなくなっていたことに気付いた。
皆さん、こんばんは。
今日は、敢えて、抽象的に書いてみようと思います。
わかりやすい言葉を使うと書けないことも、抽象的な言葉によって書けることもあるかもしれないと、思ったからです。
意味不明な文章になると思いますので、離脱したい方はどうぞ今のうちに😉
ずっと、心がざわめいていた。
理由はわかっている。
自分の中できっと、これが理由なんだろうと、わかっている。
でも、確かめたわけじゃない。
結局は、私の独りよがり。
ざわめいた心で過ごしていることは、疲れる。
思った以上に、心身のエネルギーが奪われるからだ。
理由がわかっているのならば、自分なりの対処ができるじゃないか。
そう思うのだが、私には勇気がなかった。
何度か、心のざわめきとサヨナラしようと思った。
でも、勇気がなかった私は、ざわめきと共に過ごし続けていた。
ざわめきと共存できそうかなと思ってみたり、いや無理そうかなと思ってみたり。
私の心は、日々、揺れ動いていた。
そんな時だった。
私の心に電流が走るような出来事があった。
ざわめきの中にいた私は、目が覚めたような思いだった。
ずっと、私は自分の気持ちをごまかそうとしていたんだ。
自分の気持ちが、はっきりとわかった。
そうしたら、心のざわめきが、ほとんどなくなっていたことに気付いた。
そう、私は私が本当に求めているものに気付いたのだ。
多分、私は、本当に求めているものが得られたに近い状態にある。
それにより、他にも求めていたはずのもの(心をざわめかしていたもの)がそんなに欲しくなくなっていたことに気付いたのだ。
ああ、私は、一体、何を見て、何を感じ、生きていたのだろう?
そんな風に感じてしまった。
心の目を開けば、開き続けていれば、自分の見たい世界が広がるのではないだろうか?
その世界に気付けた時、私は孤独ではなくなる、暖かさと共に、無限の広がりを感じることができるような気がした。
私が本当に求めているもの、それは、
私の心が喜ぶこと、私の心が震えること、私の心がまっすぐに向かう先が見えること、それは祈りにも近い感覚のことである。
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