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人種が違う人を見るとビビりな私は途端に自分を出せなくなってしまう

私は人見知りではないのだが、自分と人種が違う人を見るとビビりを発揮して途端に自分を出せなくなってしまう。
やたらとハイテンションになるとか、あ、とか、う、とか、どもり気味になったり、落ち着きがなくなってしまうのだ。

相手が良い人とか悪い人とかは関係ない。
ちなみに、人気があるとか人気がないとかも関係ない。
そう、かなり自分の主観的なものなのである。

自分の中のよくわからないセンサーのようなものが知らせてくるのだ。
この人、合わないよ、いい人かもしれないけどタイプが全然違うよ!とか。
この人、人気者だけど危険だよ、多分、あなたのこと嫌ってるよ!とか。
まあ、これはたとえであって、色々な形でセンサーからの声が届くのだ。

なぜ、こんな風になってしまったのか?おそらくは(毒親的気質の)母との関係性が私をここまでビビり(敏感)にさせてしまったように感じている。
母は元教師だ。
といっても結婚が早かったのですぐに辞めてしまってるから、教師歴なんてないに等しい。
しかし、昔の教師という存在は、聖職的に見られていた部分もあり、私の母は自分をどこか聖人のように感じているところがあった。

勘違いも甚だしいのであるが、今と違って、職業が人格を証明してるかのように思われていた時代だったので、母は自分を限りなく聖人に近いと思っていたと思われる。
そんな母であるから、教師を引退したら、今度は子育てで教師(聖人)ヅラを発揮してくるのだ。
下手したら自分の夫(私の継父)にまでそれをやるのだから、困った話である。

実態は、聖人でもなんでもなく、ただの価値観の押し付け、ゴリ押しに過ぎないのであったが。
しかしながら、子供だった私達(私と姉達)は、日常的にこのエセ聖人から説教を受け、屁理屈で丸め込まれているうちに、無駄な抵抗をしないことで自分を守るようになっていく。
私は実の娘だったので、できる限りの抵抗はしたが、姉達は継母に対して、だんまりを決め込むことで抵抗しているようだった。

結局、いつだって母は強かったのだ。
家の中で、父よりも絶対的君主のように君臨している存在だった。
それなのに自分のことを聖人と信じて疑わないのであるから、滑稽でしかなかった。

私は母を通して、歪んだ聖人像を放つタイプに、敏感にセンサーが働くようになってしまったのかもしれない。
もちろん、あくまでも主観である、他の誰かにとっては聖人かもしれないけれど、私にとっては聖人ではないという、そういう範疇の話である。

まあ、そもそも聖人なんてのは存在しないのだがね。
人間なんだから、聖人であるわけがないのだ。
色々な要素があるからこそ、人間は成り立っているのだから。

何が言いたかったのかよくわからなくなってきたな、私のビビりの経緯を話しただけに過ぎなくなってしまったけれど、ご容赦願いたい😝


DEENもイイけど、やっぱり本家(カルロス&オメガ)かな🥰

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