見出し画像

私は本当に真面目なんだろうか?ただのネガティブなんだろうか?そもそもネガティブって?

私はよく真面目と言われやすい。
真面目って、誉め言葉で言ってくれる人もいるけど、その逆の場合もある。

誉め言葉の場合は、いくら鈍感な私でもわかる。
だから謙遜はするけど、素直に嬉しい。
だから嬉しい気持ちだけは伝える。
だって本当に嬉しいのだから。

逆の場合、真面目だねの言葉の中に、頭が固いね、ネガティブだね、などの批判的な本音が隠されていることもある。
そういう場合は、やはりイントネーションが違う。
それを感じ取った時、私は心が固まる。

ネガティブって、意味を調べると、マイナス思考、悪い方向の思考のこと、と出てくる。
まあ、そうだろうな。
確かにその通りだ。

しかし、ネガティブって、ポジティブになる為の、通過点ではなかろうかとも思えるのだ。
ネガティブが否定的に捉えられる場合、ネガティブをネガティブのまま、放置しきっている場合のことを言うのではなかろうか?
それは確かに、本人的にも周囲的にも、あまり気持ちのいい状態ではないだろう。

そこで思った。
私が人から批判的な意味合いの、真面目だねと言われることがあるのは、私がネガティブをネガティブのまま、放置しきっているように見られているからなのだと。
要は、私の話し方、行動の見せ方にも問題があるのだ。
これは、私の話し方、行動の見せ方の癖に他ならないのだけど。
その癖とは、ネガティブな自分を出すことに、一般の人よりためらいが少ない、むしろ、ポジティブな自分を出すことが、一般の人より苦手な(恥ずかしい)のである。

他人にはそんなことはわからない。
だから、見たまんまの感想として、私を批判的な意味合いの、真面目だね(ネガティブだね)という言葉を投げかけてくるのだろう。
だから、私は誤解されやすいのかもしれないと思う。
もう少し意識的に、自分が描いているポジティブな世界について、話す癖を身に付けた方がいいのかもしれない。

唐突だが、私は文章を書くことでストレス発散をかなりしている。
となると、どうしても、内容がネガティブ寄りになってしまう。
少しずつでも、ポジティブな自分も見せる練習をしていきたい。
そんなことを感じた、今日この頃なんである。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?