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闘病は体の病気とだけ闘っているわけじゃない、情緒不安定とも闘っている

私は皮膚筋炎という膠原病を患っている。
ここ最近の私はとにかく頭が働かない。
明らかに薬が減った影響なのは間違いない。
薬で生かされて(動かされて)いた体だから、薬が減れば生かされない(動かされない)体になると言っても過言ではないのだ。

しかし、このままダラダラと、覇気のない記事を書いたり、過ごしている状態に、少し嫌気がさしてきた。
なので、私が最も、苦にならない、書くという行為で、

(日常的に書いてばかりいたので、実はほとんど苦にならない。)

自己分析や、ストレス発散を、これからはもっと思いっきり、やっていこうかと思う。



私は皮膚筋炎という、非常に珍しい、膠原病と闘っている。
そもそも、一般の人は、膠原病だってよく知らないだろう。
それに加えて、皮膚筋炎なんて、もっと知らないに違いない。
私の記事を読んでくれている方は、イメージだけでも掴んでくれているかもしれないが、一般の人はイメージすら付かない病気だと思われる。

膠原病とは、自己免疫疾患のことである。

皮膚筋炎とは、皮膚や筋肉に炎症が起こる病気である。

ちなみに、その上、私は、間質性肺炎まで発症している。

間質性肺炎とは、
肺の壁に炎症が起こり、厚く硬くなった結果、
肺が膨らまなくなり、肺活量が落ちると同時に、
酸素が上手く取り込めなくなる病気
である。

間質性肺炎は、皮膚筋炎に合併しやすい病気で、私は見事、合併してしまったのだ。


私はプレドニンというステロイドの薬を飲んでいるのだが、ずっと飲み続けていると体に悪いので、レントゲンで肺の状態を見ながら、少しずつ減薬がされてきた。

今月の検査で3mgまで減ったのは良いのだけれど、いかんせん、眠いだるい
これは前回の記事で書いた。
眠いだるい、ということは、すなわち、頭が働かないのである。
頭が働かないってことは、活動がほぼできない

もちろん、最低限のことはやっているのだけど、どこか心ここにあらずっていうかね(-_-;)
寝ぼけ眼で一日中、過ごしているようなもんである。
そんな過ごし方をしていると、達成感がないというか、とにかくモヤモヤとした感情がずっとくすぶっている感じなのだ。

そんな思いを吹き飛ばす為に、私は皆さんの記事にお邪魔して、コメントを書かせて頂いている。
皆さんの生きた(生き生きとした)記事を読ませて頂くことで、私もパワーをもらっているのである。
表面上、私が励ましたり、時にアドバイス的なことをお話させてもらってる場合もあるかもしれないが、実際には私の方がパワーをもらっているのである。

だから、私はいそいそと、皆さんの元に行かせて頂いているわけだ。
お優しい皆さんは、私が体調悪いと記事でぼやきながら、コメントに向かうので、気にして下さる方もいらっしゃるが、本当に大丈夫です(^^)/

話は戻るが、減薬が進み、情緒不安定が、加速している気がするのである。
一日の間でも、感情がくるくると変わる気がする。
そんな感情を持て余してしまい、つぶやいたりするのだが。。。
皆さんとお話して、なんとなく大丈夫になったかなと思ったのも束の間、再びよくわからない、悶々とした状態に戻される。

一体、私は何にそんなに悶々としているのだろう?

完治のない病気への不安か?

持病複数ある為、医療費がかさむことへの不安か?

一番の心の支えである愛犬の病気(老化)への不安か?

更年期を迎えている自身の残りの人生を、どう生ききるかへの不安か?

要支援と要介護状態にある高齢の両親の介護への不安か?

ざっと想像するだけで、これらは確実に私を悶々とさせている要因だろう。
病気して減薬による影響がなくとも、私の年代なら、これらの不安があってもおかしくはない。
それが減薬の影響により、増している気がするのだ。
これは非常に良くない、良くないのだよなぁ。

だからといって、すぐに解決する話はほとんどない。
結局は、自分が、自分自身と、どう向かい合うかが問題なのだ。
私って人間は、考えすぎるきらいがある。
現実の生活では、考えすぎてばかりいるわけでもないのだが、自己分析気持ちの整理の為に、私は文章を書くという手段を使って、自分の中のネガティブ要素をかなり多く出してしまう傾向がある。

だから私のネガティブ記事を読むと、気分が重くなる人も出てくるかもしれない。
または、私という人間に対して、偏向的解釈を持たれてしまうかもしれない。
そんなことを思っていたので、今まではあまり、思いきった記事を書ききれないでいたような気もする。
だが、そうも言ってられない気がしてきた。

そろそろ、私は、いい意味で自分本位に生きてもいいのかもしれない。






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