涙
立秋を過ぎても、まだまだ暑い日。
実家に行き、母と押し入れの整理をしました。
押し入れ全体は…ちょっと大仕事になりそうなので、少しずついきましょう。どこから手を付けたい? と聞くと、気になっている写真の整理を手伝ってほしいとのこと。
とりあえず内容を確認してみましょうか…。
「これとは別にアルバムもあるんだけど、それは80年代かしら。70年代と90年以降はとりあえず箱に投げ込んであるの。時間がなくてね…」
いやいやいや、さっきまで
「オリンピックも興味無いし、することがなくて暇なのよね~」
なんて言っていたじゃない…とは思いつつも、ものごとにはタイミングがありますしね。ここはぐっと堪えて箱を開けてみます。
実は…私は写真が嫌いです。大嫌い。
物心ついたときから容姿コンプレックスがひどく(今も無くはないのですが、流石に諦めがついたというか、致し方ないものは仕方ないので…)、三人姉妹なのですが下の二人はすごく可愛いのに長女の私だけなぜにこんな仕上がりなのかと悩み続けていました。
同性のきょうだいがいると、どうしても比べてしまいます。
また当時はルッキズムなんて言葉も無く、見た目についての評価が容赦なかった。近所のおばさんが
「あら~妹さんはかわいいのにね~」
とか真顔で言っていたし、担任の先生も、こちらも真顔で
「〇〇(クラスメイト)は美人だから玉の輿に乗れるけど、寧子は頑張って勉強しろよ」
みたいなエールを送ってくれていました(大昔のようですが、たかだか3,40年前)。
だからほんと、写真整理ってすごくストレスなのですが…
祖父母はとうに全員他界しています。これを見ているうちに私も母も涙ぐんでしまって…。
「おじいちゃん(左上)はこのあと脳梗塞で倒れて、私が物心ついたときは寝たきりだったよね。病室に行くと一生懸命首を動かして、こっちを見てくれようとして…」
「あなたがどんないたずらしても(左下)怒らなかったのよ。本当に可愛かったんだと思う」
「おばあちゃん(右上)はフランスにも来てくれたよね」
「言葉は出来ないし、はじめは遠いから絶対来ないって言ってたのに、しばらくしたら『どうしても寧子に会いたいっ』て一人で飛行機に乗ってきたの。着物で。フランス人全員に平然と日本語で話しかけてたけど、なんとかなってて驚いたわ」
写真左上の枕には本当に思い出があって、私が中学生になっても捨てられなかった話はこちらで書きました⇩
「背の低い葡萄畑(下段の左から2番目)も懐かしいわ…。あなたは昔から本が好きだったのよね(右下)」
「大家のゼラーさん(右上)は日本にも来てくれたね」
「子供達に会いたがってね。でもその時はあなたもフランス語をしゃべれなくなっていたし…」
私がフランス語をしゃべれなくなった悲しい経緯はこちらに書きました⇩
「その後も、何回もフランスに行くつもりだったけど、いろいろあって旅行にも行けなくて…もたもたしているうちにお父さんも認知症になっちゃうし…」
もうこのあたりから母も私もこみあげてくるものがあって、涙が止まらなくなっていました。
「みんな、みんな…いなくなっちゃって(ぐすん)…話したいこともいっぱいあったのに」
「まだ大丈夫と思ってても、急に…倒れたりするしね」
「ずっと仲が良かったわけでもなくて、だからいい思い出ばかりじゃないけど、こうやって見てみると結構笑ってて…ううっ…なんだか…」
そして母子でなんだか理由はよく分からないけれど、
号泣。
久しぶりにわんわん泣いて、涙が床にぽとぽと落ちて…。
でも私も母も、写真に涙が落ちないように、泣きながらも一枚一枚テーブルの中央には寄せていて…
「お母さん…私ね(ぐすん)」
「何?」
「今すごく泣いてるけど…涙が止まらないけど…なんか懐かしくて、おじいちゃんもおばあちゃんも大好きで、フランスもちょっと思い出して…」
「ほんと…思い出すわね」
「みんなに会いたくても…もう会えないって…寂しさもあるけど…だけど、泣いてるのの半分くらいは今の生活のストレスかも…。
なんかスイッチが入っただけで、泣いて、最近のストレスを発散してる気がするんだけど…」
すると母もティッシュで涙を拭きつつ、
「…私も同じこと考えてたの。実はいろいろ混ざってるけど、半分くらいはお父さんのこととかね…この頃のことかも。でもこういう機会だから泣いとこう…って。
ただね、私は全然親孝行できなかったと思ってたけど、こうやってみると寧子たちに会えてこの人達も嬉しかったのかな…とか、そう思うのも本当でね…」
「だよね、きっとおじいちゃんおばあちゃんも嬉しかった、そういう時も確かにあったって…う、ううっ…」
そして二人でまた号泣。
わんわん泣きながら、ああ、こうやってお互いの手持ちの札が透け透けだったから私達母子はよくぶつかっていたんだな…と思う。
なんとなく、気持ちが分かるのだ。どうしたって親は子どものロールモデルだから似てしまうのだろうけれど…。
泣きながら思う。
母は「寧子、あなたの今のストレスって何?」 とは私に聞かないだろう。
話し始めたら聴いてくれるのだろうけれど、私は「これは自分で対処しよう」と決めたら親とはいえけっして話さないタイプで、最初から最後まで自分で考える(もちろんテーマによっては親や夫や友達にべらべら話すこともあるけれど)。
それが分かっているので
「最近何かあるの?」
「あるけど大丈夫」
「大丈夫じゃないから泣いてるんでしょう。何かできることあるかしら?」
「気持ちは有難いけど無いと思うよ」
みたいな会話はすべてすっ飛ばす。
私も、これだけ泣いているということは母にも何かあるとは思うけれど、あえて聞かない。母も、言えることなら言う人だから。
抱えている問題が大きなこともあるし、特に重苦しくはないけれど内容が複雑すぎて説明が面倒ということもあるし、ストレスではあるけれどいつものことだから仕方ないと割り切っている場合もある(父が話しかけても無反応とか)。
とにかく、お互いに「言わないなら根掘り葉掘り聞かない」。
というわけで二人でひとしきり泣いて、ティッシュで涙を拭いて、まだまだ積みあがっている未整理の写真箱を見下ろす。
「今日はこれくらいにしましょう。いろいろ思い出しちゃって、すぐに全部は見られないわ…」
「これで全体の何パーセントくらい?」
「量でいくと1パーセントに満たないと思うけど、あなたどうせ小学校からから20代は見たくないでしょ」
「あの頃を思い出すのは死ぬ前の走馬灯だけで十分だよ(いじめとかいろいろあって暗黒期)。
走馬灯も課金で見なくて済むなら、迷わず課金する。ああ、30代もあんまり見たくないな…」
「高くつくわね。私もあの頃はいろいろね…でもまあ写真見るだけならね…これではずみがついたから、1人でもやるとして…だとするとあと最低3回かな」
「まだそんなにあるのか…」
あら、何か音がしてきました。
昼寝していた父が目を覚ましたかしら…?
「お父さん、起きたらわらび餅が食べたいって言ってたからね…用意してあげないと。よっこらしょ…」
「さっき冷蔵庫入れといたから冷えてるよ。あのさ…」
「そうね…今、私も思ってたの」
「整理ってなんだろう」
「見て泣いただけだものね」
「次回アルバム買ってくるよ、とりあえず年代別に分けよう」
「毎回泣いて箱にしまってじゃ、ロシアの拷問よね(出典不明)」
私達は二人ともおとめ座だ。
星占いで「おとめ座は働き者で毒が強め、普段は堅実だけれど肝心なところでは博打が打てる」と書かれていると、当たっているな~と思う(エビデンス? しいたけ占いですよ)。
母と娘、揃って来月年をとる。
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