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記憶が新鮮なうちに、1年間主将でいたことを文字に残したい。

こんにちは。りんです!

久々に、純粋に、自分のとってもとっても貴重な経験を文字に残したいと思ってnoteを開きました。

ただの自己満ですし、公開するかどうかも分からない、まだ決めていない段階で書き進めています。

ただ過ぎた1年にするにはいつか薄れてしまうような気がしたので、
もし何かを目指したり一つの事に向かって仲間と夢中に、本気になることに心が動き、震える感情を持つ人へ。

いっちばん暇でセンチメンタルな時に読んでもらえればと思います(笑)

11年間の競技人生、始めたきっかけ~中学入部

友人に誘われ、ふらふらとなんとなく始めたのがテニスでした。

おもちゃみたいなラケット。

お遊びみたいな週1のレッスン。

そのあとみんなで食べるアイスやおしゃべりが本当の楽しみになってたりして。

いつの間に、「テニス部が強いから」という理由で中学受験の学校を選んだのでしょう・・・なんでやねん。

11年間の競技人生、~高校引退

負けず嫌いで完璧主義で、のくせにヘタレで努力しきれない自分の性格は嫌いだったけれど、でも、テニスはずっと好きでした。

部活は休まず全出席、更にはテニススクールを2つ掛け持ちして
学校→部活→スクール
の生活を謳歌していました。

なのに試合では緊張して思うようなショットが打てず、勝てず、自分のメンタルの弱さに打ちひしがれました。

思ったように体が動いてくれないことがこんなにもあるのかと何度も泣いて、親にあたり、顧問の先生をがっかりさせました。

対戦相手に負けそうで、自分にも負けそうで。
コートの中ですごく自分が小さく感じて独りに感じた時、自分を奮い立たせてくれたのはいつも応援してくれる人達でした。

部活以外のたくさんの時間も共有し、毎日共にコートに立って切磋琢磨した部員のみんな。現在進行形で人生の財産です。

何があっても万全の準備で送り出し、どんなに遠くても応援に来てくれた両親。辛い表情も歓喜の声も全てを共有してくれました。

スクール生の1人、生徒の1人ではなく、「私」に対して技術もメンタル面もサポートして見守ってくれたコーチや顧問の先生

最終試合で過去最高戦績を残すことができたことを本当に、誇りに思います。最高に楽しい試合でした。

11年間の競技人生、大学入部~主将になるまで

大学生になったら、サークルというものに入って、なんかスポーツつづけたいかな~~~

くらいに思って回っていた新歓。

もちろんいくつかのテニスサークルのチラシももらい、握りしめていた訳ですが、、、

「!!!!体育会硬式庭球部!!!!」

いや堅。熱。圧。

怖そうで厳しそうな字面とは裏腹に、先輩たちの放つオーラはめちゃめちゃゆるく、発言は優しく。。。


サークルを選べなかった決め手は、
ザ・テニスサークルさんの体験会に参加した時でした。

夢中でテニスをやってきて、本気で競技を楽しんできたからこそ、

「ん??サークルって、テニス自体というよりもこの空間、人とのコミュニケーションを楽しむ場なんかな??」

テニスという目的が、コミュニケーションの手段としての役割を果たしていることに違和感を感じました。

自分まだテニス本気でやりたいんか。。(笑)
なんでやねん

あっさり体育会硬式庭球部、入部。
同期が4人もいてくれたことも大きかったです。
みんなで入れば怖くない。

でもいざ部活が始まってみればやっぱり厳しく熱く、暑く、圧。
なかなかモチベが上がらない時期もありましたが、またガチでテニスができるという喜びには代えられずでした。

・OB総会(鬼)
・汗も滴りすぎる夏合宿
・悔しいが重なって降格したリーグ戦
・コロナで完走しなかった地獄のボイコット寸前春錬

・・・

まだまだ興味ありすぎる(自分で言う)イベントを抜け、部員との相談の末に、次期主将に就任しました。

中高平部員で全く主将の器ではない、
完璧主義ヘタレにちょっと毛が生えたような私に、

新たに責任感の芽が生えました。


11年間の競技人生、~主将としての1年

コロナで部活らしい部活ができず、2~3年生の記憶が抜け落ちて先輩たちが引退してしまいました。

そして時が経てば最高学年になっているし、
時が経てばいつの間にか主将になっていました。

ハイ、今日からりん主将!!!

まあ肩書きはそうやねんけど⋯

実感もわかず、らしさも分からず、
初めは事務的な連絡や決断をすることにも自信がありませんでした。

主将として、名前や肩書きだけでなく本当に
部員に価値を提供できたのは大学の統合・合併という新年度のタイミングだったと思います。

いや半分任期終わっとるがな。笑

けれど本当にそれまでは、名ばかりで何にも残らないほどうっすい主将だったと感じます。

部活の統合に伴って、ルールも伝統も、部活としてのスタイルも違う2つの部活が急に1つのチームになり、部員数も2倍以上になった経験をした主将なんていなかった、はず。

ウォーミングアップの仕方や練習自体の頻度・強度
、リーグ戦に懸ける思いまで、多くのことが違っていました。

1つの共通認識を作れば
横から別の課題がはみ出して、
譲れない意思が漏れ出て、
丸めれば見落としていたトゲがある、

何から収集していいやら本当に分かりませんでした。

同じテニスという競技をプレーする姿を土台とし、
上手くなりたいという想いで向かう方向は一致しているのに。

常識と思っていたことが周りからひとつひとつ崩れていくようでした。

歩み寄り、お互い妥協せず、協調しあい。

毎日相談し、決定し、報連相を確実に。

絶対に部員ひとりひとりへの連絡も、どんな相談も、全力で向き合うと決めました。
自分の持てる言葉と、心で。
できる限り全てを伝えることを欠かさない。

全体グループへの報告も、ひとりも漏らさず自分に向けてだと自覚を持てるような言葉を選びました。

主将⇒部員

ではなく、

私から、部員のあなたへ。×20人。

これだけは譲らなかった。

それでも結果にこだわる主将が譲れず、強行した部分もあり、こぼれ落ちてしまった部員もいました。

そんな中ここまでついてきてくれて、本当にありがとう。

最後に全員でリーグ戦を経験し、元の大学関係なく、悔しさや喜びを共有してくれてありがとう。

「りんが主将だったからこそ、今私たちが1つの部活として存在できている」

そんな言葉をくれてありがとう。

本当に、素晴らしい試練と苦悩を与えてもらい、
大切で大好きな仲間とそれ以上の大きな感動を、全員で経験させてくれてありがとう。

主将に正解なんてないよ、と声をかけてくれた同期がいました。

「私という主将の在り方」

は全うできたかなぁ。

テニスに関わることのできたこれら全ての経験が、
私にとって一生の財産です。


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