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香取准教授のオカン前世〈第2話〉

第2話 オカン、グローバル対応を決意する!


 人の噂は75日。香取の新たな噂は、その10分の一、7.5日で収束した。彼を悩ませたゲイ疑惑は、一週間を過ぎ、8日目にはまったく聞かれなくなったのである。早い。
 なぜかというと、大学の某理事(59)が2度目の離婚をし、なんとこの大江戸大学の在学生(22)と再婚したからである。
 ぼんやりした「そうじゃないか」な噂より、リアルな事実に基づいて派生した噂の方が信憑性も増す。真実かどうかは別にして。香取の「××じゃないか」疑惑なんて、もう跡形もなくすっ飛んでしまった。

 その日、7月だというのに、香取はTVのニュース番組を見ながら鍋焼きうどんを啜っていた。
 何事もきっちりしなければならない傾向がある香取は、健康管理も抜かりはない。その香取が風邪気味であった。先日、今学期最後の授業をした講義室の冷房が効きすぎていて寒かったせいかもしれない。暖まるものを食べて、今日は早々に寝てしまおうと、彼は思ったのだ。
(中途半端はいかん。きっちり熱いものでなければ。そして汗をかいて代謝を高め……)
 それで鍋焼きうどんなのである。クーラーを28度の省エネ温度に設定し、汗をかきながら熱いうどんをふぅふぅと食している。ちなみに香取は、TVはニュース番組と教養番組しか見ない。ただし、特例としてアリサが極々希に出る番組は録画してでも、配信動画を探してでも見る。
 香取が鍋焼きうどんと格闘しているうちに、ニュースはスポーツの話題になった。
 画面は、夏に見るには暑苦しい、「ぜいはぁ」「ふぅふぅ」と荒い気を吐く土俵が終わったばかりの、自前の極厚肉布団をまとった力士が映し出された。
(暑苦しい絵面だな。だが、これは代謝をアップして汗をかかねばならぬ今日の自分には、一助となる)
 香取は、そう判断し、義務のようにTV画面を見つめる。
 今日は7月場所の最終日であるらしい。今、巨体で画面を目一杯占拠している彼が今場所の優勝者だという。暑苦しい体躯に反して、瞳は涼しげなライトブルーである。海外出身力士だった。
 優勝を祝う言葉と、勝因を問う定番のインタビューに彼は
「そうっす……ね……麦は踏まれて強くなる……って……自分は、最初、弱くて……相撲下手で……いっぱい投げられて、投げられて……だからね、強くなりました」
 顔を滝のように流れる汗だか涙だかわからない水気を拭いながら、彼が答えた。なかなか日本語が上手い。
「踏まれて、踏まれてね、育った麦……いい穂をいっぱいつけるでしょ。そんな風にね……穂をつける相撲の王様になれるようにって、親方がね……名前……つけてくれたから」
 ゼイゼイ息を継ぎながら、彼は一生懸命話している。誠実な印象だ。
 画面が切り替わって、ニューススタジオが映し出される。解説者だか評論家だか、キャスターの脇に座る男性が、待ってましたとばかりに語り始めたその話を要約すると――。
 
 穂王山。これが今場所優勝した彼の四股名である。北欧出身の彼の故郷は、小麦の産地。彼は、麦畑が広がる農村で生まれ育った。幼い頃の彼は、本の好きな物静かな子供であった。文学者か学校の先生になるのが夢であったが、家庭が貧しくて進学を諦めた。彼の父も祖父も、そのまた祖父も、ずっと農家であった。ずっと麦畑で働いて、生きてきた。家を手伝いながら、彼もそうなるだろうと思っていた。
 ところが思わぬ転機が訪れた。彼の故郷には、相撲に似た伝統競技がある。彼もその競技に親しんで育った。生まれたときから体が大きく、力の強かった彼は、幼い頃から試合に出れば、常に無敗、優勝。ぶっちぎりの無双であった。それが日本の角界の耳に入り、スカウトされたのだ。彼は日本からのスカウトに悩んだり……はしなかった。即、イエスと答えた。
 なぜか。彼には物心付く前から、繰り返し見ていた夢があった。女性が横たわっていて、その周りを7人の子供たちが取り囲んでいる。自分もその中の一人だ。まるで白雪姫と7人のこびとのようであるが、そうではない。なぜならその女性は、子供たちの母親であったからだ。女性――母親は、珍しい民族衣装のような服を着ていて、右目の下にほくろがあるのが印象的だった……。

「ぶふぅぅぅー?」
 香取の鼻から、口に入れていたうどんが「にゅるん!」と出て、まるで別の生き物のようにTVに向かってすっ飛んでいった。

 あるとき、TVで日本のドラマを放映していた。祖母と母がそのドラマをとても好きで、家族とともに彼もそれを見ていた。その時、彼は、あっと気が付いた。夢の中の女性が着ている服がこのドラマに出てくる人たちが着ているもの――着物に似ていることに。
 本好きな彼は、図書館に通い詰めて調べる。そして、夢の中の女性が着ている着物が昔の日本のパジャマであり、夢の中で子供たちが女性のことを呼んでいた「母ちゃん」と言う言葉が日本で母親を呼ぶ言葉であることを。
 彼は確信した。これは前世の記憶に違いない。きっと自分の前世は、日本人だったんだ。行ってみたいと彼は思った。だが、家は貧しい。日本どころか国の首都に行くことすらままならない。それでも彼は、暇をみつけては図書館に通い、日本に関する本を読み、たった1冊だけ図書館にあった日本語学習の本で日本語の勉強をした。日本に行けるとは思っていなかったが、それを夢見ることが、貧しい生活にあって彼のささやかな心の支えだったからだ。
 だから、日本からスカウトが来たとき、彼は迷わずにイエスと答えたのだ。

 再び画面に穂王山が映し出された。その瞬間、フミとナミが二人で大きな水桶を運んでいる姿が稲妻のように香取の脳裏に浮かんだ。
「フ、フミ……」
 間違いない。まったく予想だにしなかった姿であるが、前世双子の片割れ、次女のフミだ。
 衝撃のあまり、香取は、うどん残骸が飛び散った部屋で、TVを見つめたまま、しばし動くことができなかった。

 それから、彼が穂王山を追い始めたのは言うまでもない。
アリサナミのライブは慎重にならないといけないが、穂王山フミの土俵を見に行くのは問題ないだろう)
 なんたって相撲は国技である。相撲ファンと見做されても変な噂は立たない。

 その夏、香取は忙しかった。例年と同じく研究と読書に勤しみつつ、アリサのライブに通い、穂王山の土俵中継をリアタイで見る。チケットが手に入れば、当然、国技館に出向く。
 ツインテールズが出演する地下アイドルの夏フェスにも行った。アリサ推しの黒ずくめ人物も来ていた。遠目で互いに軽く会釈する。彼の出立は、いつもサングラスにマスク、サファリ帽子、パーカーで全部黒だから、すぐにわかる。彼も香取のように表立ってドルオタ活をできない事情があるのだろう。

 ここまで来ると、残り4人の子供たちのことが気に掛かる。他の子たちも、今世に転生しているかも知れない。
 穂王山フミのように外国人かもしれない。幸い、香取は語学が堪能である。英語と中国語は問題ない。ドイツ語とフランス語もある程度できる。
(話者の多いスペイン語も勉強しておくか)
 だが、出会った子がそれら以外の言語しか解さぬ場合は、どうするか。香取は思案した。そして、ある結論に達した。
(大丈夫。親子だからわかる)
 理屈で生きている人間、香取らしからぬ結論であった。

(ところで、あの時代はいつ頃なのだろう)
 夢のシーンが限定的なのと、夢特有のぼやけがあるがために、判然としない。
 前世三男、学長の現在の年齢から推測して、死んですぐに転生するならば、昭和東京オリンピックよりいくらか前であることだけは確かだ。三男が長生きして天寿を全うしたとすれば、明治時代か。母親としては子供が早死にしたとは思いたくない。
(そもそも、転生って死んですぐなのだろうか)
 確かチベット仏教では、死んですぐ後に成仏し損ねると、即転生となるらしいが、日本の仏教だと、死んでから7回忌だの13回忌だのと、何年経っても供養儀式が行われるから、すぐに成仏も転生もしないのか?
 いや、そもそも仏教の規則ルールで転生するとは限らないじゃないか。もし、神道なら? クリスチャンだったら?
 いやいや、それは信仰で決まるものなのか? 人類としての共通規準はないのか? 国際関係上は、国際法が国内法より優位だが、憲法に反する国際条約は締結できぬゆえ、国内においては、国際法は国内法に準ずるとする向きもある。転生はどういう決まり事の上に順位があるのだろうか。
 いやいやいや、それとこれとは全く違うだろう。ん? これは、物理の法則によるものなのではないか。死んだ後の世界というのは、この3次元とは違うから、現世――3次元内の理論と発想と法則では計り知れないのではないか。
 香取は学者であるせいか、何事につけても、どうにも論理を探して、理論を転がしてしまう癖がある。
 それに、子供たちは父親もいるはずだ。父親は、どうなっているのだろう。
 突如、香取の脳裏に有名な雷神と風神の金屏風絵が浮かんだ。そして、
  ――まるで雷神と風神のケンカだね。
  ――違いねぇ。
 誰かの会話が耳に蘇る。
(これは、前世の記憶か?)
 イラッともムカッともつかない好ましくない感情がムクムクと腹の底から湧いてくる。
(思い出したくない)
 これ以上は止まれと、香取の本能が囁く。
(つまり、父親を探す必要はないってことだな)
 香取は、そう結論づけた。

〈つづく〉
 

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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