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『35年前の先生の声』に応えたい

 ふたつの用事で実家をたずねました。
 
 ひとつは母からの「知り合いからのお土産があるから、取りに来て」の件。
もうひとつは、『35年前の先生の言葉』を確認したいというもの。

 自分が小学六年時の、担任の先生の言葉、というかコメントです。はっきり覚えていなかったので、それを確認するのが目的です。

 私の住む、長崎県佐世保市の小学校では夏休みの(国数理社の)宿題が「夏休みの友」という一冊の冊子にまとまっており、そこに書き込んで提出するカタチをとっておりました。

 その「夏休みの友」に、『国語のページを埋めるに、都合が良い』と考えて適当に小説を書いておりました。
 なぜか、小説ぽい文章は頭をつかわずにスラスラと書けまして、そこに、たしか先生の誉め言葉があったはずなのです。
 
 実家に着くと、まだ確保してある自分の棚の一部を探して、ついに発見しました。

!!


先生、35年間・・・自分は何をしていたんでしょうね。
おまけに小学6年生の二学期の通知表のコメントには以下の通り


 たしかに、当時の自分は文章を書くことに、何の魅力も感じませんでした。先生のコメントも「へぇ~」くらいの気持ちでながめていたのでしょうか、申し訳ないことに何の記憶もない始末です。

 小学校卒業後、中学は事情により部活動には参加できず、くすぶるような日々をすごしました。そして、高校から現在まで35年間、小説を書くこととは全く無関係の世界に生きてきました。

先生が書いている『路傍の石』のように。

―――

今年の3月ころから、勤務時間が減り、まとまった時間がとれるようになりまして、小説を書きはじめました。

しかし、周囲の反応は、私の心をえぐるようなものばかりでした。
・小説家になんてなれない
・その歳では無理
・ほかの仕事をしないと駄目
自分は小説書いたことすらないのに、作品のアラばかり言う人たち。
周囲の人間には、もはや絶対に作品を見せぬと誓いました。
(例外的に一人の人には見せています。またインターネット上には公開しております)

言葉は、光にもなれば、闇にも、ましては心を殺す毒にもなります。

だからこそ、大切に取り扱いたい。

手放しに、私の才能を褒めて動かそうとしてくれた先生の言葉
35年の時を越えて なお、人に力を与えるものだから

こんどは、先生がさらに驚くような『夏休みの作品』を提出したいものです。

さあっ!夏が来るぞ!!

 


 

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