かくれんぼ。
 夕闇の中での無邪気に戯れる、独りきりのかくれんぼ。
 みんな、森の闇に帰ってしまうんだ。
 そんな危ない遊びをしていたのか、と僕は貪るような怒りを何とか、堪えた。
 もし、夜の底に溶けてしまったら、二度と現実の世界に帰れなくなってしまうかもしれないのに。

「螢ちゃんはどこに行ったんだよ? 僕はどうなっていいんだ。死んでもいい。だから、螢ちゃんを探そうよ。あと少しで夜が来てしまう」
 清羅さんの眼には全くもって、色はなかった。
「森へ帰ってしまうんですね。ああ、山螢みたいに」

 山螢。
 一体いつだったかな。
 山螢を探そうと森の中へ入って、入ってはいけない、異界のほとりで彷徨したのは。
 いつもよりも長めに、その妖鬼は僕を呼んでいる。
 森の精霊が僕を誘っているんだから、僕は意志をもってあえて、耳を塞がなかった。

「君は清羅さんじゃないんだろう」
 僕がそれを言えたとき、壮絶な静寂が襲ってきた。
 鳥居から禍々しい、赤光が僕を迎い入れる。
 その火の玉は一つ、二つ、三つ、と宙をさまようように飛び交い、夕方から急に夜の境目へと堕ち、真夏なのに寒気を覚えるような、冷たい夜風が僕の背中を抜けた。
「本物の清羅さんはきっと眠らされているんだろうけれども、……君は僕をたぶらかしたんだね」
 淡々と告げると、清羅さんは急に狐のお面を外し、地面に叩きつけ、たちまち、真二つに割れ、粉々に砕け散った。
 彼女は顎が外れそうになるまで笑い出した。
 それは普通ではない笑い方だった。
 ただ、何か大切なものを失って、本当はいちばん哀しいと感じているのにそれを認めたくない、と受け手に想像させるような奇妙な笑い方。

 そう、遠くはない昔に母さんはそんな似たような、笑い方をしていた。
 鵺も眠る夜更けに、母さんが空中に向かって泣きながら笑っていた。
 その切り裂くような哄笑が止むと、僕は疾風のように右手を掴まれた。
 引き連れられ、緑苔が生した石畳の階段を一気に駆け上った。
 丘の上の朽ち果てた鳥居を抜け、僕らは裏山に押し入った。
 手を払おうとしても、まるで手が動かない。
 いよいよ、夜が逃げていく。
 いよいよ、風が押し込まれる。

「僕はどうなってもいい。ただ螢ちゃんだけは無事でいてほしいんだ」
 その合図に逆らうように、走行は即座に止まり、風を掴むと啜り泣きを始めた。
 身体が徐々に半透明になり、線が運命に逆らうように太くなっていく。
 ショートカットも腰まで垂れる漆黒の髪の毛になり、シャツと短パンも長くなり、色鮮やかな桃色の袿と茜色の袴が現れた。

 金色の冠には一房の榊の葉が飾られていた。
 ただ、その麗らかな背中とは、対照的に顔を見れば、あまりにもの醜悪さで見るのを避けてしまうんだろう、――大方の人は。
 地下深くまで俯いた姫は、なで肩を震わせている小指が幾度なく震え、爪先から血が逆流するのを感じる。
 僕の心に巣食っていた、闇の振動だ。
 どうして、星を光らせる闇はあんなに清らかで、混じりけのないのに、心にはある闇は澱み、腐り果てているのだろう。
 もし、たった一つ願い事が叶うならば、僕は闇夜に漂流する、天鳥船に大きな碇を立てたい。

「なぜ、私のような者に憐れんで」
 姫は手中に収めていた、あるものを僕の視界のほうまで広げた。
「この勾玉はあなたですよ。あなたの魂がこの勾玉には、秘められているのです。勾玉は生まれる前のあなたです。この世に生を受ける前の、あなたの鼓動がこの勾玉を象っております。この場でもし、砕け散れば」

星神楽 68 山の姫、告白|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)


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